ベルリンドイツオペラ ツェムリンスキー「夢見るゲルゲ」
松岡究です。一日遅れの投稿です。昨日ドイツオペラでたいへん嬉しいことがありました。それは、私の大切な友人、神戸大教授の藤本一夫氏にばったり出くわしたことです。私がキャスト表を眺めていると「きゅーちゃん!」と日本語が。振り向くとフーニー(彼の愛称)が立っているではありませんか。男同士抱き合って再会を喜び、オペラ終演後はベルリンに留学している彼の愛弟子と3人でレストランへ。久しぶりの再会を喜び合いました。彼はドレスデンの郊外にあるゲルリッツの大学に3ヶ月客員教授として来ているそうで、8月まで滞在するそうです。またの再会を約束して夜中の12時過ぎに分かれました。
演目 ツェムリンスキー「夢見るゲルゲ」
配役 ゲルゲ:スティーブ・ダヴィスリム
グレーテ:フィオンヌアラ・マッカーシー
ミューラー:ティツィアーノ・ブラッチ
ハンス:マルクス・ブリュック
王女:マヌエラ・ウール 他
指揮:ジャック・ラコンブ
演出:ヨアヒム・シュレーマー
先週の5月27日にプレミエを出して、6月4日が3回目の公演。この作品は藤野氏(以下フーニー)によると、1907年にマーラーの指揮で初演されるはずだったのが、どういったわけか初演されずそのまま埋もれてしまったもので、1980年ニュルンベルク歌劇場で復活上演されたと言う曰くつきの作品だそうです。ツェムリンスキーには8本のオペラがあり一部を除いてほとんどがそういう運命にあった(オペラ以外の作品も)そうで、これからいろいろ復活上演・演奏が期待されるとのこと。
今日の上演は作品の上質な手応えは充分に有ったものの、上演としてはいささか低調な感がありました。その最大の原因は演出にあると思います。フーニーとも話しましたが、こういった一般に広く知られていない作品、ましてや埋もれていた作品の上演の場合、まず時代設定を台本どおりにやってほしかったと言うこと。それは作品の時代背景が見えるようでないと作品の意図するところがはっきりわからないのではないかと言うことです。今回の舞台には、まるでPotzdamer Platz駅のような空間にエスカレーターと階段を配置し、まさしく今のベルリンをそのまま持って来た何とも想像力の皆無な舞台装置。休憩後の2幕の初めにはスケボーをやる若者(実際にいるんです)を2・3分見せてから、音楽をスタートさせる。私に言わせると全くナンセンスの極み。
歌手ではゲルゲを歌ったダヴィスリムとグレーテのマッカーシーが良く健闘していました。しかしこの劇場の空間にはやや物足りない声。多分コーミッシェオパーや国立歌劇場なら全く問題はなかったでしょうが。ラコンブ指揮のオケもきれいに整った演奏。特に休憩後は乗ってきたのかずっと良くなりました。
音楽にはたいへん驚いたのですが、リヒャルト・シュトラウスの後期の作品に全くそっくりな響きやメロディーラインが数々見受けられました。そのシュトラウスがサロメを書いていた時代にもうこのような響きが実際に生まれており、初演されず眠っていた間にシュトラウスがああいった円熟の境地を迎えているんだということを考えながらこの上演を聴いていると、時代の求めている事と作品の時間差に何とも言えない面白さを感じます。
hakaru matsuoka
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