2007年9月25日 (火)

ベルリンドイツ交響楽団演奏会

松岡究です。今日も暑い?一日でした。最高気温が25度まで達したようです。しかしまた明日から寒いベルリンに戻るようです。

曲目   ブラームス:ハイドンの主題による変奏曲

      ルトスラウスキ:オーケストラのための協奏曲

      ブラームス:ピアノ協奏曲第2番変ロ長調

  ピアノ:ピーター・ゼルキン

 指揮:インゴ・メッツマッハー

最初のハイドン・ヴァリエーションは何ともミスマッチな選曲でした。最初の木管の主題提示はちっとも美しくなく、アンサンブルもばらけていて、何よりメッツマッハーの音楽語法では対処し切れません。この曲は本当に指揮者にとっては晦渋で、彼はどうしてこの曲をやってしまったのでしょうか。これじゃ評価を下げるためにやったようなものです。2曲目のルトスラウスキは、水を得た魚のよう。オケも勿論メッツマッハーも生き生きとして、先ほどとは雲泥の差。彼は例えばブーレーズがワグナーとマーラー以降の作品にレパートリーを絞っているように、メッツマッハーもブラームスなんかやるのはやめて、20世紀と現代物を中心にやって行ったほうがいいのではないかと思いました。

後半の協奏曲。ゼルキンももう60歳です。しかし風貌は若いころのままでちょっとびっくり。そのゼルキンがオーソドックスに真摯にブラームスの内面を語ろうとしているのに、メッツマッハーの音楽はうわべをなぞるだけで、ブラームスの陰影や重厚さ、暖かい情感など何にもありません。ですからピアノとオケがちぐはぐで、ゼルキンがかわいそう。6月に聴いたバレンボイムとラトルの演奏が素晴らしかっただけに、かなり聴き劣りしました。

今日も客の入りは5割程度、音楽監督就任早々の演奏会、前回のマーラー4番、そして今回と客の入りは細る一方です。また最初の演奏会の「英雄の生涯」から比べると、かなり今日はアンサンブルが雑で、この先どうなるのでしょうか。多分今シーズンが終わるころには、メッツマッハーとベルリンドイツ響の未来は決まるような気がしてきました。

ちょっとデクレッシェンドの方向に行ってると思います。

   hakaru matsuoka

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2007年9月19日 (水)

メッツマッハー指揮ベルリンドイツ交響楽団演奏会

松岡究です。今日はまた寒くなりました。雨が降って気温が上がらず、ずっと10度前後だったようです。ダウンのコートを出そうかどうか本当に迷います。

曲目    ヘルムート・エーリンク:青い海

       マーラー:交響曲第4番ト長調「大いなる喜びへの賛歌」

   トランペット:ウィリアム・フォアマン

   エレクトリックギター:イェルグ・ヴィルケンドルフ

   ソロ:テルツ少年合唱団団員

  指揮:インゴ・メッツマッハー

最初のエーリンクの作品は、最後の方にシューベルトの「さすらい人」が引用されていると言うことで、最初にハンス・ホッターの歌う「さすらい人」の録音が流れた後、メッツマッハーによって作品が紹介され、曲が始められるという異例の形が取られました。エーリンクは会場にも来ていましたが、その曲のほとんどは幼い頃の体験が下になっているということで、今回のこの曲もそうだそうです。そして彼は耳の不自由な両親の下に生まれ、作曲家になったということでした。またそのことから、プログラムにはベルリンで行方不明になった子供の情報提供を写真・名前入りで求めるなど、社会的な側面に音楽も参加しようと言う、多分メッツマッハーの意欲が現れていると思いました。

曲は、トランペットの半分楽器の音と自分の声を同時に出す奏法で非常にミステリアスに始まりました。後半からは、ボーイソプラノがシューベルトの「さすらい人」を所謂不安を表すようなオーケストラのトーンの中で素晴らしい歌を聴かせてくれました。10歳くらいでしょうか、彼は曲の途中で何度か音叉を鳴らして音をとり、歌っていくのです。その声はまさに何か救いを求める子供達を代弁していたのでしょう。

後半は、マーラーの第4交響曲。ここでもメッツマッハーはボーイソプラノ(違う子供でした)を4楽章で使っていました。演奏は柔らかいトーンが基調になったいい演奏で、彼の力は現代音楽だけではないのだ、と言うことをはっきりわからせてくれました。とても品が良く、うるさくなく、この作品の美しさを充分表現していたと思います。(1楽章でクラリネットが1小節は早く飛び出したり、フルートがあわや落ちそうになったりと事故はいくつかありましたが)

ただ客の入りがどう見ても6割に到達してなく、彼のプログラミングではこれからの客足が伸びるのかちょっと心配になりました。前任のケント・ナガノはほぼ一杯にしていただけに、頑張って欲しいものです。

    hakaru matsuoka

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2007年9月10日 (月)

ベルリン ムジークフェスト メッツマッハー指揮ベルリンドイツ交響楽団演奏会

松岡究です。昨日から私のアパートではハイツング(暖房)が入り始めました。気温を比較してみますと、東京の約半分の気温です。日本で言うと晩秋あたりの気温かなあ?でも街路樹などはまだちゃんと葉っぱがあります。色付きもまだですし。

曲目  R・シュトラウス:英雄の生涯

     E・ヴァレーズ:アメリクス(アメリカズ)

いよいよ、メッツマッハーの音楽監督の時代が始まりました。彼は若いころはアンサンブル・モデルンのピアニスト兼指揮者でしたし、今までの彼の足跡を見ても現代作品で名を売ってきた鬼才です。ですから現代作品に対しては圧倒的な自信があるのでしょう。普通の指揮者なら、この曲の順番は逆でしょう。しかしヴァレーズをメインとして聴かせたいという彼の姿勢・考えは今日聴いて大変納得の行くものでした。

まず「英雄の生涯」は驚くほど正攻法の音楽で、「オレだってこんなにやれる」と言う自信みたいなものが漲っており、見事な演奏でした。冒頭の主題も過度に力まず、むしろしなやかに奏で、終曲に至るまで緊張感溢れる指揮で、鋭敏な感覚を持った彼のスタイルはとても好感が持てるものでした。前任のケント・ナガノは「静」の音楽でしたが、彼は全く正反対の「動」の音楽であり、ある意味でエンターテインメントをわきまえた指揮者です。

後半のヴァレーズ。25分くらいの演奏時間でしたが、私の視界に入っただけでも30人近くが曲の途中で席を立ちました。しかし大半の聴衆はこの作品の巨大なエネルギーに感銘を受けたようです。メッツマッハーは自信を持ってこの作品を振っており、その自信から来る作品の深い読みの結果が今回の成功を勝ち得たのだと思います。

彼のプログラミングは近現代の作品が主流で、例えば来月にはプフィッツナーの「Deutscher Seele(ドイツ魂)」と言う曲が演奏されます。私は残念ながら聴けないのですが、埋もれた近現代の作品に光を当てようとする姿勢がこれからベルリンの聴衆にどう受け入れられていくか興味のあるところです。ナガノもかなり現代曲を取り上げていましたが、現代曲を堂々とメインに据えるようなプログラミングはしていませんでした。

これからのメッツマッハー・ベルリンドイツ交響楽団の動向は大変注目されるところでしょう。まずは成功裡に発進したと言うところでしょうか。

   hakaru matsuoka

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2007年8月11日 (土)

ケント・ナガノ指揮ベルリンドイツ交響楽団 の6つのコンサート

松岡究です。8月5日の日曜日からケント・ナガノ指揮のベルリンドイツ交響楽団の6つのコンサートがクラシカ・ジャパンで放送されました。

1日目  モーツァルト:交響曲第41番「ジュピター」

2日目  ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」

3日目  シューマン:交響曲第3番「ライン」

4日目  ブラームス:交響曲第4番

5日目  ブルックナー:交響曲第8番

6日目  R・シュトラウス:アルプス交響曲

以上の6曲、彼の解説と全曲演奏と言う番組でした。このうちベートーヴェン、ブラームス、R・シュトラウスは実際私も本番で聴いています。ここでもう一度ケント・ナガノに関して論じてみたいと思います。

彼のコンサート(全部がベルリンドイツ交響楽団との演奏)はまず、必ず沈黙から始まると言ってもいいと思います。つまり(日本では当たり前ですが)必ず聴衆が静まるのを待ってから演奏を始めるのです。演奏する前に聴衆がざわめかないのは日本では当たり前ですが、ベルリンでは聴衆が静かになるのにはかなり時間がかかります。しかしナガノには聴衆を黙させる何かがあって、必ず他のコンサートでは感じられない緊張感が演奏の前にあるのです。そして徐に演奏が始まります。(外来演奏家は日本に来たときに、最初から沈黙してくれる日本の聴衆を褒めることが多いのは、この日本の賞賛されるべきマナーの良さが大いに関係しているはずです)この緊張感は、大変心地よいものでナガノを聴いているベルリンの聴衆はこの緊張感から音楽を味わっていると言っても良いかもしれません。

今回この6つのコンサートを聴いてまず思ったことは、作品に対して大変謙虚であることです。作品をありのままに再現しようと試みる姿勢は、大変共感するものです。その為の解釈であり演奏であるのです。

彼のスタイルは大変スマートで一見淡々とした演奏です。しかし作品の輪郭は必ずはっきりとしていますし、楽員も何人もの人が言っていましたが、大変透明感のあると言うか清潔感があります。逆に(演奏は全てそうですが)集中力をちょっと欠いたり、作品のキャラクターとナガノのスタイルが合わなかったり、あるいは聴衆に「ドラマティックな演奏」を期待している人には大変物足りない、「何だ!ただ振ってるだけじゃない」と言うような感想が漏れ聴こえることもあります。

以前このブログを書き始めてすぐに、「無」と言う観念が彼にあるんじゃないか(彼は日系3世のアメリカ人ですが)、日本人より日本的なものを感じる、と言うようなことを書きましたが、やはり今回もそう思いました。彼は不断にその日本人的な何かをかなり意識して自分の中に取り込み、自分の特徴にしているのではないでしょうか。あるいは自分の本質とは何かを自分で問うて見たときに、其処に思い至ったのかもしれません。

いずれにしろ彼のこのような個性は、欧米では稀有の存在でしょう。

hakaru matsuoka

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2007年5月28日 (月)

トン・コープマン指揮ベルリンドイツ交響楽団演奏会

松岡究です。昨日一昨日とベルリンは激しい雷雨と突風に見舞われました。特に昨日は夕方6時前から突然真っ暗になり、激しい雹が雨とともに降り、突風が吹き荒れました。もう凄まじいのなんの、ベートーヴェンの「田園」の4楽章もひょっとしたらこういった天気を描いているのでは、と思いました。

曲目   J・S・バッハ:管弦楽組曲第1番BWV1066

      J・S・バッハ:カンタータ「満ち足りた安らぎ、望まれし喜びよ」BWV170

      C・P・E・バッハ:オラトリオ「聖なるかな」Wq217

      メンデルスゾーン:交響曲第2番変ロ長調「賛歌」Op52

  アルト:ボグナ・バルトス

  ソプラノ:リサ・ラルソン

  テノール:ヴェルナー・ギューラ

  合唱:RIAS室内合唱団

  指揮:トン・コープマン

曲目を見てわかるように長いコンサートでした。しかし内容はとてもいいものだったと思います。DSO(ベルリンドイツ交響楽団)は基本的にやはりノンビブラート奏法。しかしところどころコープマンの指示でビブラートがつけられています。しかし紛れも無くバロックの典雅な音がオケから聞えてきました。

2曲目のカンタータは当初ソロをするはずだったカウンターテナーのアンドレアス・ショルのために設けられたもののようだった用ですが、その当人が病気で降板。変わってボグナ・バルトスが歌いました。正直な感想を言えば、ショルが下りたのなら、無理をしてやらなくても良かったのじゃないでしょうか。それよりもコープマンはメンデルスゾーンでショルを歌わせるつもりだったのでしょうか?そちらの方が気になりました。

3曲目のエマニュエル・バッハの短いオラトリオはたいへん小気味のいい、コープマンの持ち味である歯切れのよさと相俟って、たいへん充実した素晴らしい演奏でした。オケもコーラスも2群に分かれ、立体的なとても面白い曲でした。

今回のRIAS室内合唱団は女声19名、男声17名の計36名です。

後半のメンデルスゾーンの交響曲は約70分かかる大曲。全体は2部構成ですが、第1部のシンフォニアは通常の交響曲の1~3楽章と考えて差し支えありません。そして第2部の「賛歌」は合唱と3人のソリストを交えた壮大な素晴らしい曲です。昨年の1月に私も指揮したのですが、その時のことを今日は思い出しながら聴いていました。

オケを5・4・3・2・1.5とかなり絞り込んでやったのはどうだったでしょうか?ここまでなると室内オケのようになり、通常フル編成でやっているオーケストラはバランスが悪くなり(つまり金管が強くなったり)弦楽器が霞んでしまいます。今日も特に第1部の所謂第1楽章のところがかなりバランスが悪かったですね。通常に室内オケとして活動しているところの方が残念ですがうまく聞えます。しかし第2部になってから音楽は輝きを増し、演奏にも熱が入り感動的な終演でした。その立役者はやはりRIAS室内合唱団でしょう。36人の少人数ながら濁りのない、透明且つ力強い合唱はまず褒め称えられるべきです。あと独唱ではラルソンとギューラが素晴らしかったです。2人ともまさにオラトリオを歌う声で品格がありました。

コープマンは歯切れの良いシャープな音楽作りが身上だと思いますが、落ち着きと言うかしっとりした深いものが少々希薄で、特にメンデルスゾーンの第1部のような曲にはちょっと不向きなような気がしました。

   hakaru matsuoka

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2007年4月20日 (金)

ベルリンドイツ交響楽団演奏会

松岡究です。きのうから急に冷え込んできました。2日前までの夏を思わせる陽気はどこかへ行ってしまって、何とも冷たい風が吹いています。

曲目   モーツァルト:ピアノ協奏曲第25番ハ長調Kv503

      エネスコ:交響曲第3番ハ長調作品21

  ピアノ:ルドルフ・ブッフビンダー

    合唱:ベルリン放送合唱団

  指揮:ローレンス・フォスター

はっきり言えば、来なきゃ良かった。この4月にバレンボイムやブーレーズ、その前はヤノフスキ、メッツマッハー等を聴いてくると、ちょっとどうかな。

まず、ブッフビンダーのピアノは繊細かつスピード感を出そうとしているのに、フォスターがやかましくオケを振るものだから、繊細さがどこかへ行ってしまって、騒々しさだけが印象として残ってしまいました。30年前の日本のよう。

後半のエネスコの交響曲は曲も演奏も「何じゃらほい!?」ってな感じ。またしてもフォスターの騒々しい棒が目に付きました。そして音楽も何を言いたいのか皆目わからず、ずっとメゾフォルテとフォルテが鳴っているだけで、オケのフレージングの処理が全くされていない感じで、旋律も和音もそして各楽器の主張も皆お団子状態。

拍手もそこそこに切り上げて早く帰路につきましたが、Sバーンが工事の影響でダイヤがめちゃくちゃ。ついてないときはついてないものですね。

   hakaru matsuoka

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2007年4月 5日 (木)

ケント・ナガノ指揮ベルリンドイツ交響楽団 バッハ「マタイ受難曲」

松岡究です。3日からこちらの学校はイースター休みになっています。ですから演奏会にも小さな子供達の姿が目立ちます。今日も寒い一日で、最低気温は0度だったようです。明日は最高14度最低7度の予報が出ていますから、比較的暖かいんじゃないかなあ。

曲目  J・S・バッハ 「マタイ受難曲」

   メゾソプラノ:アンネッテ・ダッシュ

   アルト:ベルナルダ・フィンク

   エヴァンゲリスト:スティーヴ・ダヴィリスム

   イェス:ディートリッヒ・ヘンシェル

   テナー:マルティン・ペッツホールド

   バス:デートレフ・ロート

 合唱:ウィンズバッヒャー児童合唱団

 指揮:ケント・ナガノ

大変素晴らしい演奏でした。今までナガノの演奏会の中でも一番の出来だったのではないでしょうか。名演と言ってもいいと思います。

その一番の立役者がまず合唱。ウィンズバッヒャーの児童合唱は第1コーラス第2コーラス合わせて約80名。全員が勿論男声です。小学1・2年生のような児童がソプラノを担当し、高校くらいまでの上級生がアルト・テナー・バスを担当しています。今まで混声しか聴いたことの無かった私は、その純粋なハーモニーとまっすぐ気持ちよく伸びてくる声にまず感動しました。所謂児童合唱の部分はそれよりも小さい子供達が、しかし立派に歌っていました。

その次がオーケストラでしょう。2群に分かれたオーケストラは勿論ノンビブラートで演奏していくのですが、その気品のある音は素晴らしいものでした。どの楽器のソロもしっかりと良く歌われ秀逸。ケントはほとんど1・2・3と拍を振ることなくほとんど奏者に任せているのですが、要所はしっかりと締めて3時間に及ぶこの大作を極めて高い水準で聞かせてくれました。

歌手達もまあまあ。と言うのはなんとなくどの人も小粒でもう一つ。その中ではアルトのフィンクが声にも艶があり、説得力のある歌いっぷりで良かったと思います。ヘンシェルはただ一人暗譜。オペラにも良く出ています(特にコーミッシェオパー)が、もともとはこういったオラトリオ・歌曲歌いの人。しかし彼の歌はいつも胸に届かない。ただ良く研究されて歌っているのは良くわかります。

   hakaru matsuoka  

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2007年3月26日 (月)

ベルリンドイツ交響楽団演奏会

松岡究です。きょうからこちらは夏時間になりました。従って日本との時差は7時間です。私は目撃しました。ベルリンのアパートに8ユーロくらいで買った電波時計があるのですが、午前2時59分59秒の次は午前3時ではなく、午前4時ちょうどになったのです。逆に冬時間になるときは多分もう一度午前2時になるのではないかと思います。これは確認してませんが。

今日は大変暖かく15度くらいまで気温が上がったようです。もう寒いのはいいです。徐々に暖かくなってほしいところです。

曲目   ストラヴィンスキー:交響詩「小夜啼鳥の歌(うぐいすの歌)」

      ベルリオーズ:夜の歌

      ツェムリンスキー:交響詩「人魚姫」

    ソプラノ:スーザン・グラハム

    指揮:インゴ・メッツマハー

今年の9月からこのDeutsches Symphonie Orchester Berlin(DSO)の主席指揮者に就任するメッツマハーの指揮で行われた演奏会は、期待を裏切らない素晴らしい一夜でした。

ドイツ人であるのにその指揮スタイルは重いものをあまり感じさせない、むしろシャープで柔らかく滞らない現代的な指揮をする人です。それは若い時から現代音楽のスペシャリストとして彼が歩んできたことと深い関係があるのだと思います。

ストラヴィンスキーは少々上滑りなところが無きにしも非ずで、ちょっと何が言いたいのかわからなかったのですが、後半のツェムリンスキーはとても良い演奏。センスがよくて適当に粘り気があり、全く滞らずどんどん流れていくのです。これからベルリンの聴衆にどう受け入れられるのか興味が尽きないところです。

真ん中に歌われたベルリオーズの「夏の歌」はスーザン・グラハムの名唱によってその作品の真価を見せ付けてくれました。彼女はフランス物、特にベルリオーズのスペシャリストですがその名に恥じず、気品と柔らかな発声と音楽性で見事に歌ってくれました。特に2曲目「薔薇の精」、4曲目「嘆きの歌」は絶品で、ウットリさせられることしばしば。メッツマハーも歌を引き立て、ピアニッシモをうまく使って曲の世界を充分に表現し佳演。聴衆も大満足のようでした。

現代音楽のスペシャリストとして鳴らしてきただけに、その音楽はひょっとしたら冷たくて機械的で血が通ってないのではないかと思っていたのですが、それは全くの杞憂に終わりました。彼の音楽は素敵でした。これからを期待します。

   hakaru matsuoka

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2007年1月 8日 (月)

ケント・ナガノ指揮ベルリンドイツ交響楽団演奏会

松岡究です。今日は久しぶりにケント・ナガノの指揮を聴きました。昨シーズンで音楽監督を辞任し、ミュンヘンの国立歌劇場の音楽監督の地位に付いたのは皆さんご存知だと思います。今日もほぼ満席の盛況。ミュンヘンでの評判は今の所それほど芳しくは無いようです。しかし新任の監督には最初は何処も厳しい見方をしますが、ベルリンでの彼は確実に愛されていると思います。

曲目   細川 俊夫 「Circulating Ocean」

             モーツァルト ヴァイオリン協奏曲第3番ト長調K.216

      ブラームス 交響曲第3番ヘ長調作品90

   指揮 ケント ナガノ

   ヴァイオリン ギル シャハム

細川さんの作品は30分にも及ぶ大曲。題名の通り、大洋が循環する様を壮大に描いた作品。やはり日本人にしかない感性があって、例えばバスフルートの尺八のような歌い方、トロンボーンがわざと息だけを吹き込んで、風の様を描写する音など、ナガノはうまくオケから音を引き出していました。やはり日系3世とはいえ日本人であるケントの面目躍如。

次のモーツァルトはやはりシャハムのヴァイオリンが出色の出来。よくなる音を持っており、今日は一番奥の席で聴いたにもかかわらず、あたかもすぐそこで弾いているような、素晴らしいなり方。(勿論楽器がいいのも有りますが)ですからオケもバランスをそんなに気にすることなく弾いているので、メリハリが出て気持ち良い演奏。

最後のブラームス。実に40分以上もかかった演奏。かといって重厚ではなく、丁寧に絹織物を織って行くような、痒いところに手の届くような演奏。ただ私の趣味を言わせてもらうなら、ケントにうねるような情念と、明暗のはっきりしたパレットがあれば全く私好みのというか私の解釈とほとんど同じなんだけど(無いものねだりだと言う事は百も承知です)、と思いながら聴いていました。彼の良さはいつもながら、聴衆をまずひきつけておいて、丁寧に音楽を始めることです。その雰囲気というかオーラは所謂欧米の指揮者には無いもので、彼の個性を良い一段と引き立てるものだと思います。

    hakaru matsuoka

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2006年6月25日 (日)

ミヒャエル・ギーレン指揮ベルリン交響楽団演奏会

松岡究です。今日は17時からドイツとスウェーデンのサッカーの試合があった関係で、どこへ行っても大声で叫んでいる輩や、地下鉄内でドアを蹴っ飛ばしたりしているお方?等ちょっと日本人の私にはついていけませ~ん。

そのせいだったんでしょうか、今日の演奏会は5割強の入り。皆応援し疲れてコンサートはキャンセルしてしまったのかなあ?

曲目   ヤナーチェック:笑いのダンス

      スクリャービン:ピアノ協奏曲 ピアノ:ダニエラ・フリンコヴァー

      メンデルスゾーン:交響曲第3番「スコットランド」

      指揮:ミヒャエル・ギーレン

一曲目のヤナーチェックの作品は全部で6曲からなる作品。どこかあのドヴォルザークのスラブダンスに似ていて、それをもう少し田舎臭くした感じの明るい曲ばかり。演奏はなんてことはない感じで、「ふ~ん」で終わってしまいました。

2曲目のスクリャービン。これは今日の見っけもん!恥ずかしながら今日聴くのが初めて。その作風はどの楽章にも甘美なメロディーがあり、ショパンとラフマニノフを足して2で割ったような耽美的な作品。「意外といけるなあ」と言うのが私の感想。しかしもっとロマンティックにピアノも指揮も歌ってほしかったです。ピアノは?と言うような感じ。全く音は聞えて来ないし、繊細なピアノがあるわけでもないし、超絶技巧があるわけでもないし、ごく普通のありふれたピアニスト。

3曲目のメンデルスゾーン。さすがにこれは良い演奏でした。ギーレンは私の好きなタイプでは全くないのですが、彼の良いところが今日はよく出ていました。つまりテンポがだれることなく音楽に推進力があり、きりっとした面持ちのすっきりした演奏になっていました。盛り上げるところもしたたかで、かといって過剰にならず、この曲の持つ難しさをうまく回避していてさすがでした。この人に決定的に欠けているのは、アトモスフェアでしょうね。別の言葉で言うとそっけない、とでも言うのでしょうか。でも腕は超一流。これは素直に認めます。

今月は3週続けてベルリン交響楽団を聴いてきましたが、今日の演奏が一番質は高かったと思います。

    hakaru matsuoka

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2006年6月17日 (土)

祝100記事達成  ベルリンの聴衆に愛されたケント・ナガノ指揮ベルリンドイツ交響楽団演奏会

松岡究です。今日で100記事目になりました。有難うございました。

今日も日中は暑く連日30度を優に超える気温です。WMもたけなわで、どこへ行ってもサポーターだらけ。街中を大声で国旗を持ってはしゃぎまわる若者がたくさんいます。

20時からのコンサートのちょうど30分前、いきなり雷が鳴り出し雹が降ってきて大雨。慌ててソニーセンターに非難し、20分ほどして小康状態なったときにバスに乗り込んで200メートル先のフィルハーモニーへ。何とか開演時間に間に合いました。

曲目;ベートーヴェン  荘厳ミサ曲

   ソプラノ:アンネ・シュヴァーネヴィルムス

   アルト:マリー・ニコレ・レミュー

   テノール:クラウス・フローリアン・フォークト

   バス:ギュンター・クロイスベック

   合唱:ベルリン放送合唱団  合唱指揮:サイモン・ハルセイ

   指揮:ケント・ナガノ

曲が終わって5秒ほどの沈黙のうちに拍手が起こります。それから15分間拍手は鳴り止まず、何度も舞台に出てくるナガノ。おしまいはスタンディングオベイションになりました。オーケストラのシェフとして6年間その職責を果たしてきたナガノにオーケストラから感謝状と花束が手渡されました。

以前にも書きましたが、彼は「無」と言う物をオーケストラに持ち込んだある意味では真に日本的な男だと思います。思い返すと、彼の演奏会は必ず各楽章の始まる前に会場は水を打ったような静けさが支配するんです。そして徐に音楽が奏でられる。こういった「間」があることは他の指揮者ではほとんどありません。彼の演奏会のみなんです。なんとなくがやがやした中で音楽が始まることが多いのがベルリンの演奏会の特徴と行っても良いくらいです。その中でこういったとても基本的ともいえる空間をいつも作り出していたケント・ナガノは、本当に聴衆にも楽員にも愛されていたことがよくわかりました。

今日の演奏もご多分に漏れず各曲間に長い集中時間があり、それがこのミサ曲の持っている所謂荘厳さとあいまって、とても聴き応えのある演奏でした。勿論大変な難曲なのでオケやソリストに傷が多かったのは残念なことでしたが。切り口はとてもスマートなんですが、じっくりと落ち着いたたたずまいはこの曲にふさわしい演奏でした。そんな彼はやはり日本にはなかなか寄り付かないでしょう。(私の言わんとしている事はもうお分かりでしょう。多分何度かの来日で、大分懲りてるんじゃないかなあ。)

プログラムに「カリフォルニア生まれの指揮者がバイエルン国立歌劇場とモントリオール交響楽団の主席指揮者になる。」と書いてありました。やはり画期的な出来事なのでしょう。

     hakaru matsuoka

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2006年4月26日 (水)

エド・デ・ワールト指揮ベルリンドイツ交響楽団定期

松岡究です。今日はエド・デ・ワールト指揮のドイチェスシンフォニーの演奏会。曲目はモーツァルトのセレナータ・ノットゥールナKv.239とマーラーの交響曲第7番「夜の歌」というNacht Musik特集。

この指揮者は懐かしくて、私が学生時代ラフマニノフの交響曲第2番をロッテルダムフィルハーモニーと録音したものを毎日のように聴いていました。ですからどういう演奏をするのかとても楽しみではありました。

最初のモーツァルトは何か焦点の定まらない感じで始まりました。3月31日に放送交響楽団とヤノフスキで聴いた時のほうが、しまりがあってよかったと思います。ただ聴衆をとても楽しませたのは、3楽章で4人のソロ一人一人がカデンツを演奏したことです。こういう趣向は初めて聴きましたが、なかなかいいものです。

マーラーはとても清潔感のある演奏。ここぞと言う時にもっと粘ってほしいところが何箇所かあり、その為か毒気がなくなりちょっと物足りない感じでした。しかしマーラーのスコアを実にすっきりと音にしていたのはさすがです。決して押しの強い指揮ではありません。しかし章句人的な技を充分に発揮して、聴衆から暖かい拍手を受けていました。

        hakaru matsuoka

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2006年4月17日 (月)

アンドリュー・マンツェ指揮ベルリンドイツ交響楽団 ハイドン「天地創造」

松岡究です。今日は”OSTERSONNTAG”です。明日まで休日は続きます。今日のコンサートはイースタースペシャルの3回目。アンドリュー・マンツェ指揮でハイドンの最高傑作オラトリオ「天地創造」。

ソプラノ:マルリス・ペーターセン

テノール:マルクス・シェーファー

バス:ミハエル・フォッレ

ブラボー!素晴らしいコンサートでした。知る人ぞ知るマンツェはコープマンの下でずっとコンサートマスターを務めてきた人で、近年指揮も積極的に手がけている逸材です。その指揮スタイルは一見あのアーノンクールを彷彿とさせます。しかし音楽はアーノンクールのように考えつくされ、時には意表を衝かれると言った音楽ではなく、オーソドックスでいながら、音楽は暖かく生き生きと息づいているのです。とても素敵な音楽をやる人。勿論オーケストラや合唱はノンビブラートを基本に音を奏でていきます。スタイルは古楽器的スタイルを取っているのにでてくる音楽は全くそのことを感じさせない自然な物でした。

ソリスト3人も大変素晴らしく、特にソプラノのペーターセンは2部のアリアが終わると会場から拍手が自然に沸き起こりました。彼女の声は透き通っていて、まるで小鳥のように歌う人です。テノールのシェーファーもシュライヤーを思わせるような柔らかく気品のある声。そしてバスのフォッレもとても気品と豊かな音楽性を持った歌い手。本当に3人ともがオラトリオを歌うにはうってつけの声。勿論3人ともにオペラにもよく出演しているそうです。ベルリンでこのようなコンサートを聴いていると、本当に日本は遅れてるなあと思います。つまり声質で歌手を選ばないんです。売れてるか・売れてないか、これだけですね。主催者もそうですが、聴衆の皆さんにも責任のあるところでしょう。

   hakaru matsuoka

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2006年4月16日 (日)

ハンス・ツェンダー指揮ベルリンドイツ交響楽団演奏会

松岡究です。昨日が聖金曜で祝日。きょうも本当はイースターの最中なのですが、祝日ではありませんでした。(でもKARSAMSTAGー聖土曜日ーと言ってただの土曜ではありません。)というわけで慌ててスーパーへ買出しに。昨日買ったイースター用パンは甘すぎてちょっと食べるのには・・・でベッケライにも寄り道。皆さん「良いイースターを」「イースターおめでとう」と声を掛けてくださいます。少し感激!

今日はベルリンドイツ交響楽団(ドイチェス・シンフォニー)の2日目の演奏会。同じオーケストラでも、昨日とはほとんど違うメンバー、当たり前のことですが。

曲目ハイドン:交響曲第49番「受難」

  ツェンダー:BARDO

  ハイドン:交響曲第95番

以上3曲。指揮者で作曲家のツェンダーの作品はハインリッヒ・シフが弾く予定だったのが病気でグスタフ・レヴィニウスに急遽変更。この季節よく病気で降板するのが多いです。グルベローバもそうでしたしね。

ハイドンの49番は私も一度指揮した経験があります。シューベルトの「死と乙女」そっくりの序奏。本当に素晴らしい作品です。1月小はAGAGIOのままずっと演奏されその悲劇性を強調するかのよう。各楽章同士でコントラストが考えられている作品です。ツェンダーは後半の95番でもそうですが、作品のありにままを忠実に再現して作品の持つ良さを充分に引き出していました。私は中学・高校の頃、演奏会に行って嫌いになった曲が何曲かあります。「展覧会の絵」「幻想交響曲」・・・今では大好きですが、信じられないでしょう?でも事実なんです。それは演奏者・オーケストラの演奏が多分余りにも悪かったからです。つまりその曲の真価をはっきり聴衆に知らしめ、出来うれば「良かった、感動した」と言って帰ってもらうのが演奏者の使命。それはプロもアマチュアも関係ありません。そういう意味では今日のこのツェンダーはその責任を十二分に全うしたんではないでしょうか。95番はハ短調で始まってハ長調で終わると言うベートーベンの「運命」と同じ調性。しかしベートーベンがそこに「苦悩から歓喜へ」という公式=哲学を盛り込んだのに対し、ハイドンのは「昼と夜」「夜の中に向かう光」と言うか、所謂2極構造を表している作品です。しかしこういった調性の大胆な発想は、既にハイドンがベートーヴェンの前に行っていたことを知ると、ベートーヴェンの出現はハイドンなくしてはあり得なかったんだと言うことがよく理解できます。

シフに代わってチェロを弾いたリヴィニウスはとても美しい音色と気品を持っており、大変素晴らしいチェリストでした。急遽現代曲の演奏での代役でここまでの演奏をするということは彼が非凡な人であるということを示していると思います。

    hakaru matsuoka

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2006年4月15日 (土)

トン・コープマン指揮ベルリン・ドイツ交響楽団「十字架上の7つの言葉」

松岡究です。きょうからイースター。お昼を食べようと思って外へ出てみると、軒並み商店は休み。行きつけのベッケライも休み。仕方ないので「スーパーにでも行って買出しでもしよう」と思ってスーパーに行ったらここも休み。大手のスーパーは全部休み。「どうしよう。お腹すいた~」と探し回ってありました、一軒だけケバブ屋さん。「昨日もケバブ食べたばかりなのに~」と、仕方なく2ユーロ20セント払って何とか飢えを凌ぎました。そうするともう一軒ベッケライが開いていました。「明日からのパンを仕入れなきゃ」と言うことでそこに入って、イースター用の丸い大きな甘いパンを買って家路へ。月曜までイースター。思いやられます。

さて今日からベルリンドイツ交響楽団が3日間「イースター・スペシャル」と題したコンサートをやるんです。今日はその一日目。

曲目はハインリッヒ・シュッツの「十字架上の7つの言葉」とハイドンの「十字架上の最後の7つの言葉」の2曲。休憩なしのコンサート。指揮はトン・コープマン、合唱はベルリン放送合唱団。

シュッツの作品は20分ほどの作品で、最初に合唱でイエスが十字架につけられている様子を歌い、続いてシンフォニア、そして合唱の中の何人かがソリストを勤めながら、7つの言葉を歌っていきます。そしてシンフォニアが再び演奏され、最後に合唱で神の恩寵と永遠の愛を歌って締めくくられます。コープマンの演奏はとても丁寧でかつ生き生きしており、シュッツの言葉と音楽が一体になったこの傑作を美しく表現してくれました。それにしても私が聴いてもシュッツの作品は言葉と音楽がマッチして、言葉が自然に聞こえてきます。シュッツの天才たる所以でしょか。

次に演奏されたハイドンの「十字架上の最後の7つの言葉」は通常弦楽4重奏でやる版ではなく、2管編成のオーケストラ版。この最後の7つの言葉の意味とドラマを知っている人にとっては、とても充実した70分であったと思います。コープマンは弦にも管楽器にもノンビブラートを要求していたようで、実に透明な柔らかい素朴な音が支配していました。曲は最後の「地震」のところだけほんの2分くらいプレストになるだけで、イントロダクションと7つの言葉を意味する7つのSONATAはすべてスローな曲でした。それだけに先ほど言いましたように、その意味するところがわかっていなければ、ちょっと聴くのに骨が折れるかもしれません。しかし7番目のSONATAでそれまで全て4拍子の曲が3拍子に変わった途端に、4拍子と3拍子はこんなにも音楽的緊張感が違う物なのかと改めて思い知らされました。それはコープマンの音楽作りが成功していたためだと思います。そして地震の場面で初めてティンパニが叩かれ、天地創造を髣髴させるような音楽の表現力に驚きました。

      hakaru matsuoka

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2006年3月 1日 (水)

ケント・ナガノ指揮ドイチェス・シンフォニーオーケストラ定期

松岡究です。もう2月が終わってしまいましたね。早いですね。「時間よ、止まれ」と言いたくなってしまいます。今日はDSOと簡略して言われるドイチェス・シンフォニー・オーケストラの演奏会です。指揮はここの音楽監督のケント・ナガノ。曲目はワーグナー:「ローエングリン」から第1幕の前奏曲、シェーンベルク:5つの小品、ワーグナー:トリスタンとイゾルデ」から前奏曲と愛の死(MS:ワルトラウト・マイヤー)休憩を挟んでブラームス:交響曲第4番というプログラム。

私はケント・ナガノという人も、この1年結構聴いてきたつもりです。そしていつもかれの音楽が掴みきれない、私にとってずっと納得いくものがというか、腑に落ちるものがなかったというか、そんな感じだったんです。でも今日なんとなくそれが判った気がしました。一言で言うと、「彼ほどいい意味で日本人的な音楽家はいない」ということです。確か日系3世だったと思うんですが、日本人でありながら日本には住んでいないというところから、必然的に日系人の方々はそのルーツを大切にする、大和魂を大切にするという生き方になりますよね。そう例えばユダヤ人たちが何千年も迫害を受け続けてきたのに、自分たちの民族的誇りを失うどころか却って強めてきたのと同じように、彼は日本人よりも日本的な内面を身につけているんではないか?どういうことかというと、彼にはずっと動と静の静、陽と陰の陰の部分をずっと感じ続けてきたように思うんです。そして彼の音楽は必ず「無」の部分があると思うんです。それが彼の最大の特徴ではないかと。例えば今日のローエングリンの出だし、本当に何もないところから生まれてくる音なんですね。他の指揮者や音楽家は最初から有であるんじゃないかと思うんです。無から始まるからある意味でとても透明感があって、ある意味でとても無性格。決してそこには秘められた激情や哀愁などの感情はないんです。徹底的に「無」なんじゃないかなあ!それが音楽の持っている美と結びついてこの演奏はすばらしかったです。

このやり方は思い返せばどの作品をやるときもそうだったような気がするんです。ブルックナーの6番、アルペンシンフォニー、そして必ず彼がプログラミングする現代音楽。皆そうでした。ですから特に現代音楽においてはいつも一種の緊張感が生まれますし、彼の得意とするところじゃないかと思います。シェーンベルクやウェーベルンなんか無から生まれるような、そんな音楽をいっぱい書いてる気がしませんか?その反面感情で音楽が支配されることはないので、物足りないところも出てきます。トリスタンはそのいい例でした。マイヤーは本当に未だに第1級の声を持っていました。しかしケントの音楽運びが感情ではないので、なんとなく違和感があるんです。魂を揺さぶられることはありません。ワーグナーのあのカタルシスは微塵もありません。次のブラームスもそうです。実に丹念に音楽は作られているんだけど、4番特有の哀愁、孤独、嬉しさ、激情といった感情が見えないんです。でもこのような個性を持った人は皆無でしょうね。だからこそ彼には価値がある、ということだと思います。音楽家は皆、動であり陽の人がほとんどだと思います。その最高峰がサイモン・ラトルではないでしょうか。

サイモン・ラトルはイギリス人、ケントは日本人、ベルリンの主なオパーとオケのチーフコンダクターは皆所謂外人です。ドイツ人は一人もいません。このことについていつか述べてみたいと思います。

追伸 実は今日のシェーンベルクの5つの小品は私が知っているものとは違ったんです。普通は大管弦楽で演奏されるんですが、今日は弦5部の5人、木管一人ずつ、ピアノ、ハーモニュームの計11人だったんです。ひょっとしたらプログラムが変更になっていたかもしれないし、このような作品が同じ題名で存在するのかとどうか、調べて後日報告いたします。

       hakaru matsuoka

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