3月11日東日本大震災1周年
松岡究です。
今日は大震災からちょうど一年。皆様はどう過ごされておりますでしょうか?
昨年の3月11日、私は瀬戸フィルとの13日のコンサートのために12時半の高松行きの飛行機に乗り、高松に赴きました。ホテルに入るや否や、家内から半分泣き声で「今すごい地震があった」と電話がありました。そんな電話なんて大げさなと思いましたが、反面そんなんに大きな地震だったのかなあとテレビをつけると、なんと東京湾の石油コンビナートが爆発し炎上している光景が目に飛び込んできました。これは大変なことだと、今度は私から家内に電話しようとしましたが、もうつながりません。やきもき気をもむばかりで、どうしようもできませんでした。
その夜は合唱の練習、次の日はオーケストラの練習をして、夜に合唱との合わせの練習。曲はバーバーの「アダージョ」とモーツァルトのレクィエム。東京から多田羅廸夫さんと伊原直子さんがソリストで来ることになっていました。羽田は何とか運行されており、ご両人が到着。お二人の先生に話を聞きましたところ、東京は大混乱しており、その光景は想像に絶すると仰られていました。
そして13日このコンサートでホールにいらした聴衆の皆さんと1分間の黙とうを捧げ、レクイエムを震災で亡くなられた方々の御霊に捧げたのでした。
大きな地震、それに伴う大津波。まだここまでなら日本の復興の仕方は変わっていたでしょう。しかしなんといっても原発の事故は悲劇以外の何物でもありません。東電や国の責任は当然のことながら、どうそれを克服していくかが今後の大きな課題です。
私は長崎市で生まれ、中一が終わるまで長崎市で育ちました。ご存知のように長崎と広島には原爆が落とされました。そして多くの方が放射能を浴びたことによる後遺症に苦しんでで来られました。しかし私が言いたいのは、原爆投下後長崎や広島で暮らしてこられた方がたくさんいるという事実です。長崎・広島の今までの放射線量の情報、爆心地や雨が降ったところの放射線の情報をあるのであれば開示してほしい。今どのくらいセシウムなどの放射線を放つ物質が土中や木々、山川海に残っているのか?原爆が落とされた後、長崎・広島に人たちは何を食べていたのか?内部被曝と外部被曝の情報はどうだったのかなど、そういった情報はないのでしょうか?今現在の長崎と広島の放射線の状態はどうなんでしょうか?そういった情報があれば、福島の人はもちろんのこと日本国民全員が、少しでも自分で納得できる、今後の生活のイメージを描くことができるのではないでしょうか?風評被害やいろんなことに半信半疑になるのは、情報不足からだと痛感します。
今月20日に宮城県大河原町えずこホールでの復興支援コンサートに、ユニフィルとマリンバの水野与旨久さんと行ってまいります。
hakaru matsuoka
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コメント
神奈川大学管弦楽団定期演奏会のご指導・指揮ではいつもお世話になっております。また定期演奏会のできばえについて、いつも暖かい評をいただき、ありがとうございます。
この度、神奈川大学の卒業式での学生表彰で、わが管弦楽団が課外活動団体の部で優秀賞を授与しました。理由は、管弦楽団としてのレヴェルの向上、地域での活動・応援などです。このところ1000名を超える来場者数も評価されています。優秀賞の受賞はわが管弦楽団史上初めてのことであり、団員も喜んでいます。とりわけレヴェルの向上が評価されたことは、これまでの先生のご指導の賜物と、感謝申しあげます。
次回の定期演奏会はブルックナーの「ロマンティック」に挑戦することになりますが、今後ともご指導のほどよろしくお願いします。
神奈川大学管弦楽団顧問
伊坂青司
投稿: 伊坂青司 | 2012年4月 9日 (月) 10時05分