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2007年8月11日 (土)

ケント・ナガノ指揮ベルリンドイツ交響楽団 の6つのコンサート

松岡究です。8月5日の日曜日からケント・ナガノ指揮のベルリンドイツ交響楽団の6つのコンサートがクラシカ・ジャパンで放送されました。

1日目  モーツァルト:交響曲第41番「ジュピター」

2日目  ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」

3日目  シューマン:交響曲第3番「ライン」

4日目  ブラームス:交響曲第4番

5日目  ブルックナー:交響曲第8番

6日目  R・シュトラウス:アルプス交響曲

以上の6曲、彼の解説と全曲演奏と言う番組でした。このうちベートーヴェン、ブラームス、R・シュトラウスは実際私も本番で聴いています。ここでもう一度ケント・ナガノに関して論じてみたいと思います。

彼のコンサート(全部がベルリンドイツ交響楽団との演奏)はまず、必ず沈黙から始まると言ってもいいと思います。つまり(日本では当たり前ですが)必ず聴衆が静まるのを待ってから演奏を始めるのです。演奏する前に聴衆がざわめかないのは日本では当たり前ですが、ベルリンでは聴衆が静かになるのにはかなり時間がかかります。しかしナガノには聴衆を黙させる何かがあって、必ず他のコンサートでは感じられない緊張感が演奏の前にあるのです。そして徐に演奏が始まります。(外来演奏家は日本に来たときに、最初から沈黙してくれる日本の聴衆を褒めることが多いのは、この日本の賞賛されるべきマナーの良さが大いに関係しているはずです)この緊張感は、大変心地よいものでナガノを聴いているベルリンの聴衆はこの緊張感から音楽を味わっていると言っても良いかもしれません。

今回この6つのコンサートを聴いてまず思ったことは、作品に対して大変謙虚であることです。作品をありのままに再現しようと試みる姿勢は、大変共感するものです。その為の解釈であり演奏であるのです。

彼のスタイルは大変スマートで一見淡々とした演奏です。しかし作品の輪郭は必ずはっきりとしていますし、楽員も何人もの人が言っていましたが、大変透明感のあると言うか清潔感があります。逆に(演奏は全てそうですが)集中力をちょっと欠いたり、作品のキャラクターとナガノのスタイルが合わなかったり、あるいは聴衆に「ドラマティックな演奏」を期待している人には大変物足りない、「何だ!ただ振ってるだけじゃない」と言うような感想が漏れ聴こえることもあります。

以前このブログを書き始めてすぐに、「無」と言う観念が彼にあるんじゃないか(彼は日系3世のアメリカ人ですが)、日本人より日本的なものを感じる、と言うようなことを書きましたが、やはり今回もそう思いました。彼は不断にその日本人的な何かをかなり意識して自分の中に取り込み、自分の特徴にしているのではないでしょうか。あるいは自分の本質とは何かを自分で問うて見たときに、其処に思い至ったのかもしれません。

いずれにしろ彼のこのような個性は、欧米では稀有の存在でしょう。

hakaru matsuoka

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