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2007年7月26日 (木)

気付き4

松岡究です。昨日まで日本の現状を見つめ、社会科教育とアイデンティティを考えることが重要ではないかと言ってきましたが、ここでもっと日本人の本質・性格等を考えてみたいと思います。

「源氏物語」は世界最古の優れた恋愛小説ですが、その繊細な心情描写は日本のお家芸ですよね。「もののあわれ」「あ・うんの呼吸」などの微妙な揺れは、音楽でも例えば武満徹さんのノヴェンバー・ステップスで表現されており、ロジカルに組み立てられていく西洋音楽とは全く異次元の音楽です。ですからオンリーワンの個性として武満さんは世界的に評価されました。源氏物語も然りです。

日本人とは生来「言わなくてもわかってくれよ」的なところのある、議論のあまり上手ではない民族です。「そんなところまで言わなければならない」と思ったとたんに白けたり、疲れがどっと出たりして、話したくなくなったりします(私がそうです)。反対に西洋人・中国人は皆議論好きで(その激しい喋り方に私は今でも辟易してしまいますが)、論理的に議論できることが求められます。

ドイツのオーケストラは、特に音楽監督の音楽観がどのようなものであるかを知りたがるようです。そしてその音楽観に敬意を表し演奏することが好きです。例えばチェリビダッケのリハーサルはリハーサルの70%はチェリビダッケの話であると言っても過言ではないでしょう。逆にいくらテクニックがあっても、それを説明できないとオーケストラの楽員は納得しない傾向があると思います。

世界的に見て、日本人のような感性を持ち「あ・うん」で済ませられる民族は少ないんじゃないでしょうか?「だからさ、ね、わかってよ」ではわかってくれないのが世界です。このような民族性は稀有なものですが、この民族性を大事にしつつも、もっと論理的思考の出来る人間にならなければ世界には通用しないと思うのです。なぜなら世界の大多数が議論を求めるからです。

しかしその議論は、日本の国会に代表されるように未だに大変幼稚なものです。考えることをやめ、大変情緒的な考えだけで日本の政治は運営されてきました。だからこそ歴史的知識がしっかりし、論理的思考のできる、情緒のわかる日本人になる。これがこれからの日本を背負って立つ人間になるのではないでしょうか。

hakaru matsuoka

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