「現代音楽」について
松岡究です。先日ロジカルさんとモトリオンさんから私の「現代音楽」の投稿に対するレスがありました。お二人の仰ることは大変良くわかるのですが、私の文章の稚拙さがこのようなご批判に結びついたと思います。つまり今自分で読み返しても言葉がまるで足りなかったと思います。しかし書き直すには膨大な資料と膨大な時間を要するように思います。従いまして、一度この「現代音楽」の投稿は5月10日を持って一度削除させていただき、時間を置いてもう一度書く努力をしてみたいと思います。
特にレスを頂いたお二人には感謝いたします。自分を見つめる良い言葉をいただきました。有難うございます。尚、なぜすぐ削除しないかと言うと、私の稚拙な文章を一人でも多くの皆さんにご覧頂いておきたいという思いからです。
閑話休題。今回の帰国に際し、読んだ本と映画のご報告を忘れておりました。本は重村智計さんの「外交敗北」。映画は黒澤監督の「椿三十郎」「命のちから」の2本。重村さんの本は改めて日本の今までの外交の貧弱さと日本の特殊性について考えさせられました。「椿三十郎」は黒澤の映画でも一番楽しめました。「命のちから」は私のような人間には大変力付けてくれる映画でした。
hakaru matsuoka
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コメント
批判とはとらえないでいただきたい。
せっかく書くなら、文書に説得力を持たせた方がいいと思っただけである。「もっと目を明るい方へ向けて人を心を豊かにする作品を書いてほしいものです。」などといったすばらしい言葉をより強く伝えるために。
現代音楽の話で言えば、題材はどうであれ、10%も「あたり」があればそれはすごい確率ではないかと感じる。
年に何曲の作品が書かれ、それらが積み重ねられ、膨大な曲が生まれていると思われる現在、それがどの程度の割合で後世に残る作品になるのだろうか。それは題材に関係あるのだろうか。
あるかもしれないし、ないかもしれない。
そう考えると、「数えるくらい」でも、現代のすばらしい作品に出会っているのは幸せなことではないか。
例えばベートーヴェンのシンフォニーを聞いて、立てなくなるほどの感動と同様な体験を現代音楽でするのは、一生に一回、あるかないか、くらいの覚悟でいる。だからこそ、現代音楽のコンサートに通うことにも意味があると思っている。
投稿: ロジカル | 2007年5月12日 (土) 22時08分