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2006年11月13日 (月)

ラトル指揮ベルリンフィルハーモニー管弦楽団 ショスタコーーヴィチプロ

松岡究です。朝はリートマチネー、夜はラトル・ベルリンフィルと言う一日でした。ともに充実したコンサート。お天気は愚図つき気味の寒い一日。気温は上がらず日中もずっと6度あたりの気温でした。

曲目  ショスタコーヴィチプロ

   交響曲第1番ヘ短調作品10

   交響曲第15番イ長調作品141

   指揮:サー・サイモン・ラトル

素晴らしいコンサート!最近のラトルは心境著しいものがあるように思います。6月のブラームス4番、10月のブルックナー4番、そして今月11月のショスタコーヴィチの1・15番。

不必要なことは全く振らず、必要不可欠なことだけ振っていきながら、大変な集中力と緊迫感、そして何よりも音楽的な空間の創出。こんなことのできる人今時いないでしょう。ベルリンフィルはいまや完全にラトルと相思相愛で、ラトル以外の指揮者の時の演奏とは少し差がつき始めたように思います。本当に目が離せないし、私がベルリンに来てからのラトルを比較しても物凄い成長が伺えます。

私はショスタコーヴィチの交響曲は全部知っているわけではありませんが、彼の人間的な面・性向、方向性を考える時、1番の交響曲を知る知らないでは、彼に対する理解に差がつくだろうなあと思います。どういうことかというと、この作品はまだ19歳の時の作品で、この曲が発表された時は20世紀のモーツァルトと呼ばれたほど、世界に与えた衝撃は大きかったのです。しかし内容は彼の作品のほとんどを彩るアイロニーや批判等はまだ出ていないにもかかわらず、その根っこの部分はちゃんとあるわけです。

15番をこうやって素晴らしい演奏でじっくり聴くと、ショスタコーヴィチの人生観が良くわかります。「ウィリアム・テル」の引用では、彼の中でソヴィエトに対する考えが「なるほどこう思わざるを得なかったのか」と思うとなんとなく涙が出てきます。ベートーヴェンの弦楽四重奏の引用は自分の死と向き合ったときの心境そのままだったのでしょう。そして終楽章の最後にヴァイオリンで奏でられるメロディーはまさに「白鳥の歌」、そして時計の刻むような楽想で終わることは、もう人生の残りが無いということを端的に表しているのではないでしょうか。

ラトルの今回のプログラミングはショスタコーヴィチを知る上で、またと無い貴重な機会でした。

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コメント

ラトルの ショスタコ 興味深いです。 15番はあまり演奏機会に恵まれないけど 極めて面白い作品ですね。
来年始めてショスタコ専門アマオケの オーケストラダスビダーニャで実演を聞く機会があるので楽しみです。

蝶々夫人!信じられない演出ですが ドイツ人はこういうのが好きなのか・・・??? 最近この手の演出が目に付き 男としてはどうしても音楽に集中できないので 困った物です!

投稿: 田中邦彦 | 2006年11月13日 (月) 23時30分

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