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2006年11月29日 (水)

今後の本番予定

松岡究です。今回の帰国に関しての本番をお知らせします。もしよろしかったら是非いらしてください。

11月26日  成城合唱団演奏会  於 成城学園50周年記念講堂 終了

      シャルパンティエ:真夜中のミサ

      モーツァルト:戴冠ミサ

12月2日  都立駒場高校同窓生によるチャリティーコンサート 於 東京オペラシティー 午後2時開演

        ベートーヴェン:交響曲第9番~3・4楽章

12月3日  津山第九を歌う会演奏会 於津山市市民文化会館 午後2時開演

        ベートーヴェン:交響曲第9番

12月9日  合唱団アレス・クラー第1回演奏会 大久保・淀橋教会 午後2時開演

        フォーレ:レクイエム(オルガン伴奏)

        木下牧子:無伴奏合唱曲 他

12月10日 成城大学レストロアルモニコ管弦楽団 於成城学園50周年記念講堂 午後3時半開演

        ブラームス:交響曲第4番

        チャイコフスキー:白鳥の湖~

        シベリウス:フィンランディア

12月17日 浜松交響楽団定期公演 於 アクトシティー大ホール 午後2時開演

        ベートーヴェン:交響曲第4番

        ロッシーニ:「泥棒かささぎ」序曲 他

12月23日 神奈川大学管弦楽団定期 於 鎌倉芸術館 午後2時開演

        ドヴォルザーク:チェロ協奏曲

                 :交響曲第9番「新世界より」

以上です。

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2006年11月28日 (火)

ニコラウス・アーノンクールについて

今回帰国して、24日の金曜の深夜と26日の日曜に両方ともたまたまテレビで、アーノンクールの日本公演がNHKで放送されていました。聴いたのはモーツァルトの「レクイエム」、交響曲第40番、41番。本当は39番とヴェスペレが同時に放送されていたようですが、これは聞き逃してしまいました。

この3曲、「レクイエム」はウィーン・コンツェントゥス・ムジクス、交響曲はウィーンフィルとの演奏。 私はこの3曲の演奏に釘付けになってしまいました。ベルリンではシューベルトを2度ほど聴いただけでしたが、やはり彼のモーツァルトは素晴らしい。

以前モーツァルトの3大交響曲をヨーロッパ室内管と入れたCDを聴いた時、「一体何が起こってるんだ!!?」とあまりの演奏の異常さ?に愕然としたものですが、こうやって時を経て聴いてみると、その読みの深さ、研究の足跡が良くわかって興味深いです。

彼の楽譜の読みは、一言で言うと「休符の意味づけ」にあると思います。その表現の最たるものがモーツァルトではないのでしょうか。文章(フレーズ)を語った後の間の取り方、想像もつかない瞬間、次の文章をどう言うか。それは詩の朗読にたとえることが出来るかもしれません。彼から得るものは多大です。 

     hakaru matsuoka

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2006年11月27日 (月)

本番終わりました

松岡究です。今日成城合唱団との本番が無事終わりました。

曲目   モーツァルト:ディヴェルティメントKv.136

      シャルパンティエ:真夜中のミサ

      モーツァルト:戴冠ミサKv.317

 ソプラノ:松尾香世子

     :澤村翔子

 アルト:阪口直子

 テノール:大島博

 バリトン:三塚至

管弦楽:アンサンブルZERO

合唱:成城合唱団 (合唱指揮:高嶋邦幸)

成城合唱団とは2年ぶりの共演。前回はブラームスのドイツレクイエムでしたが、今回はミサ曲2つ。私としては大変楽しいコンサートでした。2曲とも大変良い曲で、特にシャルパンティエは今回合唱団から依頼されるまでは全く知りませんでした。

このコンサートをお聴きになった方、是非感想等をお寄せください。

    hakaru matsuoka

 

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2006年11月21日 (火)

帰国しました

松岡究です。帰国しました。

例によって、今回の機内での映画は「シザーハンズ」「カーズ」の2本。本は武満徹さんと大江健三郎さんの対談の新書「オペラをつくる」、養老猛さんの「超バカの壁」の2冊。

今回のベルリンでは、ラトル、ティーレマン、バレンボイムと3回続けて名演を聴けたのは大変な収穫でした。

    hakaru matsuoka

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2006年11月18日 (土)

日本の行方

松岡究です。外国で暮らすと本当に日本では考えなかったようなことを考えるようになります。

小泉さんが9月で総理大臣をおやめになりましたが、その外交は史上最低とまで言う人がいるようですね。でもそれはどうかと思うんです。小泉さんの前までは日本はいろんな国にODA等で経済援助をずっとしてきた訳ですね、中国にも韓国にもそして北朝鮮にも。それがバブルの崩壊で多額の不良債権を抱え込むことになった。今までの日本とは違って、小泉さんは今の日本は大変ですから、お金は貸せませんと言っただけなんじゃないですか?そうすると今まで「金くれ~」といっていた中国や韓国などは面白くないから、靖国がどうのこうのと声高に言い始めた。つまり中国や韓国はは「金くれないなら駄々こねちゃう」と言ってたようなもんじゃなかったんですか。

それを日本の危機だとか史上最低の外交だとか言うのはちょっとお門違いで、誰だって金ばら撒けばいい顔するに決まってるんだから、今までの首相の方たちは本当に楽だったんじゃないでしょうか。と言うより本当の外交をそれこそしてこなかったから、小泉さんが対等の外交をしようとしたら、「金よこせば話を聞いてやる」と言われたようなものだったんじゃないかなあ。だから安部さんから本当の対等の外交になるんじゃないかって思います。安部さんはそうする義務があると思います。

    hakaru matsuoka

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2006年11月17日 (金)

教育

松岡究です。ベルリンで、電車に乗ったりバスに乗ったりしていると日本ではありえない事が時々起こります。

まず、電車内でラジカセを鳴らしている若者。ビール瓶を片手に朝から酔っ払っているおじさんだったり若者だったり。携帯電話で大きな声でしゃべるのはどの人も当たり前。いすはつめて座らずに、一人で2・3人分を占領するのは当たり前、等々。

文化の違いかそれとも他に何か原因でも?

ヨーロッパは地続きですから、いろんな民族が入り乱れて生活し、また国をなしています。そして今も移民問題は大きな社会問題です。そこには学校や家庭で受けた教育の差が如実に出ていると思うんです。

クラシックの音楽会やオペラには一般に裕福な人しか来ないといわれています。いくらドイツあるいはベルリンだからといって、皆がクラシックを聞いているわけではありません。一般の人たちはやはりポップスやロックを聞いています。昔からクラシックは所謂一部のインテリや裕福層の楽しみであったわけですが、それが今もある意味では生きているわけです。

そういう厳然とある階級社会の現実を打破するのは教育しかないと思いませんか?日本は1億全国民が中流意識を持っているといわれて久しいですが、こういった状況を見ると、それは当たり前ではなく戦後の日本教育の奇跡的な結果なのだろうと思います。

hakaru matsuoka

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2006年11月16日 (木)

バレンボイム指揮ベルリン国立歌劇場管弦楽団演奏会

松岡究です。今日は暖かな一日でした。ダウンを着ていると暑くて却って気持ちが悪くなりそう。

曲目  シューマン:ピアノ協奏曲イ短調作品54

     マーラー:交響曲第9番ニ長調

     指揮:ダニエル・バレンボイム

     ピアノ:ラドー・ルプー

渾身のバレンボイム。こんなに最初から霊感に満ち、凄いバレンボイムはコンサートでは初めて見ました。彼の凄さを再認識した演奏会でした。

シューマンの協奏曲では、ルプーの素晴らしいピアノにぴったりと寄り添い、シューマンの奥の深さ・繊細さを極限まで表現し尽くしたかのよう。こんなにも哀しい調べをこの曲が持っていたなんて!ルプーもバレンボイムも本当に大家にふさわしい。脱帽です。

後半のマーラー9番。1楽章からバレンボイムは渾身の演奏。物凄い集中力でもってオーケストラを指揮する姿は圧巻。2・3楽章のテンポもディナーミクも極端なまでに違えて、コントラストを強調していく手法はバレンボイムくらいしか出来ないんじゃないかと思ってしまうほど。4楽章も最後まで緊張の糸は張り巡らされ、大変充実した演奏になりました。

今までテレビではいずれもベルリンフィルを振った「運命」と「ジルベスターコンサート」は素晴らしい思ったのですが、実演では初めて感激する事ができました(ピアノは日曜のシューマン等何度かその素晴らしさに遭遇していますが)。彼が世界のトップを走る理由がやっとわかりました。本当に凄い人です。

    hakaru matsuoka

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2006年11月15日 (水)

ドロテア・レシュマン&ダニエル・バレンボイム リートマチネー

松岡究です。今日の日曜は朝の11じから歌曲のコンサート。本当はローマン・トレケルとバレンボイムのリートマチネーだったのですが、トレケルが病気だと言うことで、急遽ドロテア・レシュマンのリサイタルとなりました。しかしこれが大当たり。素晴らしい1時間半でした。

曲目  シューマン没後150年

   「ミルテの花」より12曲 作品25

   「リーダークライス」作品39~ヨーゼフ・フォン・アイヒェンドルフの詩による

全くトレケルのリサイタルだと疑わないで開演を待っていました。するとでて来たのはレシュマン。???頭の中が混乱状態。しかし彼女が歌い始めるや否や、私は彼女の声に引き込まれ、シューマンのロマンに35分間身をゆだねて聞き入ることが出来ました。正確な発音と発声に支えられた彼女の歌は、時にオペラティックにまた大変繊細に、時にはユーモラスな表情も交えながら、彼女の歌はミルテの世界に誘ってくれました。

後半のリーダークライスも素晴らしい歌唱。シューマンがこんなに素敵な小宇宙を持っているなんて、シンフォニーしか知らない僕にはとても新鮮。アンコールも3曲も歌って、最後は全員がスタンディングオベイションで彼女をたたえました。

バレンボイムのピアノも素敵!ベートーヴェンのソナタを弾いている時は楽器が持っている以上の世界を弾こうとして時に音が濁りがちになるのですが、今日の伴奏に関して言えば、「こんなに綺麗な素敵な音を持っていたのね!」と関心。~失礼~モーツァルトのコンチェルト23番の特に第2楽章の音を今思い出しました。あれも良かったです。やはりバレンボイムの音楽の原点はピアノに間違いない。

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2006年11月14日 (火)

ティーレマン指揮ミュンヘンフィル演奏会

松岡究です。きょうも冷たい雨がしとしとと降っていました。

曲目   プフィッツナー:「パレストリーナ」~3つの前奏曲

      ブルックナー:交響曲第7番ホ長調

      指揮:クリスティアン・ティーレマン

今日も素晴らしいコンサート。やはりティーレマンはただものではない。と言うより私は2年前にR・シュトラウスの「影の無い女」と「ダフネ」を2晩続けて聴いて以来彼のファンになりました。彼はこの2晩を最後にベルリン・ドイツオペラを辞任し、ミュンヘンフィルに専念することになります。その2004年以来彼はこのオケの音楽監督を務めています。

最初の曲、プフィッツナーの代表作「パレストリーナ」からそれぞれの幕への前奏曲が演奏されました。プフィッツナーはR・シュトラウスとほぼ年代が同じ作曲家ですが、その作風はシュトラウスよりオーソドックスな感じです。いわば19世紀後半から末にかけての作風と言えるのではないでしょうか。しかしこの3つの前奏曲は大変ロマンティックでかつ起伏に富み、忘れられていた名曲でしょう。ティーレマンは曲の持つ素晴らしさを存分に引き出して、この作曲家に光明を当てたのではないでしょうか。

後半のブルックナー。いやはや凄い演奏でした。まず彼の特徴は息が長いということ。したがって彼の重要なレパートリーのブルックナー、ワグナー、R・シュトラウスにぴったりと合うのです。しばしば大きな体を屈めながら指揮し、大きな振幅を生み出します。でも彼のやっていることは実に精巧な仕事。でも普通の指揮者がこれをやったら、チマチマした演奏になってしまうのでしょうが、彼はなんせ息が長い人。細部まで彫啄されたスケールの大きなブルックナーが出現しました。

昨日のラトルとは全く違うタイプの指揮者。そしてなんと言ってもオペラでやはり鍛えられていると言うことが良くわかります。昨日といい今日といい至福のひと時でした。

        hakaru matsuoka

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2006年11月13日 (月)

ラトル指揮ベルリンフィルハーモニー管弦楽団 ショスタコーーヴィチプロ

松岡究です。朝はリートマチネー、夜はラトル・ベルリンフィルと言う一日でした。ともに充実したコンサート。お天気は愚図つき気味の寒い一日。気温は上がらず日中もずっと6度あたりの気温でした。

曲目  ショスタコーヴィチプロ

   交響曲第1番ヘ短調作品10

   交響曲第15番イ長調作品141

   指揮:サー・サイモン・ラトル

素晴らしいコンサート!最近のラトルは心境著しいものがあるように思います。6月のブラームス4番、10月のブルックナー4番、そして今月11月のショスタコーヴィチの1・15番。

不必要なことは全く振らず、必要不可欠なことだけ振っていきながら、大変な集中力と緊迫感、そして何よりも音楽的な空間の創出。こんなことのできる人今時いないでしょう。ベルリンフィルはいまや完全にラトルと相思相愛で、ラトル以外の指揮者の時の演奏とは少し差がつき始めたように思います。本当に目が離せないし、私がベルリンに来てからのラトルを比較しても物凄い成長が伺えます。

私はショスタコーヴィチの交響曲は全部知っているわけではありませんが、彼の人間的な面・性向、方向性を考える時、1番の交響曲を知る知らないでは、彼に対する理解に差がつくだろうなあと思います。どういうことかというと、この作品はまだ19歳の時の作品で、この曲が発表された時は20世紀のモーツァルトと呼ばれたほど、世界に与えた衝撃は大きかったのです。しかし内容は彼の作品のほとんどを彩るアイロニーや批判等はまだ出ていないにもかかわらず、その根っこの部分はちゃんとあるわけです。

15番をこうやって素晴らしい演奏でじっくり聴くと、ショスタコーヴィチの人生観が良くわかります。「ウィリアム・テル」の引用では、彼の中でソヴィエトに対する考えが「なるほどこう思わざるを得なかったのか」と思うとなんとなく涙が出てきます。ベートーヴェンの弦楽四重奏の引用は自分の死と向き合ったときの心境そのままだったのでしょう。そして終楽章の最後にヴァイオリンで奏でられるメロディーはまさに「白鳥の歌」、そして時計の刻むような楽想で終わることは、もう人生の残りが無いということを端的に表しているのではないでしょうか。

ラトルの今回のプログラミングはショスタコーヴィチを知る上で、またと無い貴重な機会でした。

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2006年11月12日 (日)

ベルリンコーミッシェオパー プッチーニ「蝶々夫人」

松岡究です。昨日の夕方から一段と冷え込んだベルリンは、今日は冷たい雨の振る一日でした。

演目 プッチーニ「蝶々夫人」

   ちょうちょうさん:ジュリエッテ・リー

   スズキ:スザンネ・クロイシュ

   ピンカートン:ティモシー・リチャーズ

   シャープレス:アントン・クレミチーフ

   ゴロー:クリストフ・シュペート  その他

  指揮:エンリコ・デランボイェ

  演出:カリクスト・ビエイト

「このエロ親父」と言いたくなるような演出!ビエイトのコーミッシェオパーでの演出は後宮に次ぐ2本目ですが、またしてもセックスあるいはセックス描写そのものを前面に出すきわどい演出。はっきり言ってきわどいどころか、そのものズバリです。

舞台はキャバレーかソープランドかと言うゲテモノ。ピンカートンはそこに遊びに来たアメリカ人。スズキはそこで働くソープ嬢。初めはピンカートンとスズキが一緒に貝殻状の風呂に入ったり、ゴローはその客引きになっています。ちょうちょうさんはこの上客のアメリカ人に捧げる生贄のようなもの。処女であることを証明し、二人は愛の2重唱へ。そのシーンは紛れも無くセックス三昧の18禁。またまたやられたと言う感じ。

2幕になると部隊はなぜかやしの木の下の南国風別荘。そこに現れるシャープレスやヤマドリはまるでやくざ。しかし何とシャープレスはピンカートンを諦めて「オレの女になれ」と言いたげ。それを拒絶したちょうちょうさんとスズキは花の2重唱ならぬ、掃除婦のおばさんの2重唱。「ピンカートンが帰ってきたときに綺麗なお部屋でいたいの」、まあ理解は出来ます。

3幕になると最初の3重唱でスズキはシャープレスにいたぶられます。ピンカートンはちょうちょうさんのことが気になっている様子。しかしちょうちょうさんとスズキは仲違いをしてとうとうちょうちょうさんはスズキを殺してしまいました。その後のアリアでは子供も殺され気が狂ったちょうちょうさんは自殺してしまうのでした。

余りにも衝撃的なー敢えて言わせてもらうとー汚い舞台。プッチーニの音楽はどこかに吹っ飛んじゃいました。でもちょうちょうさんを歌ったリーとピンカートンのリチャーズは素晴らしい声と表現力の持ち主。舞台がこうでなければもっと高く評価されるんじゃないかなあ。

この演出家は結構人気があるらしく、1階はほぼ満員。全体で8割くらい入ってるのは驚異。こういう演出を見るとオペラが抱えている問題点・将来性が見えてきますね。音楽界の識者がこぞってオペラの危機を叫んでいる中、こうした演出も経験しなければならないオペラの試練かなあ。

見た後の充実感は0%。まあ、もう二度とこの演出は見ないでしょう。興味のある方はどうぞ。今度は11月18日です。

    hakaru matsuoka

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2006年11月11日 (土)

コンチェルトハウスオーケストラ ベルリン演奏会

松岡究です。今シーズンからベルリン交響楽団はコンチェルトハウスオーケストラ ベルリンと名称を変更し、主席指揮者に新たにザグロセクを迎えました。先シーズンのインバルの時よりも期待が集まっているようです。

曲目 オール ショスタコーヴィッチプロ

  スケルツォ変ホ長調作品7

  ピアノとトランペットと弦楽合奏のための協奏曲ハ短調作品35(ピアノ協奏曲第1番)

  交響曲第4番ハ短調作品43

  指揮:アンドレイ・ボレイコ

  ピアノ:エレナ・バシュキローヴァ

  トランペット:ジュローム・クロミー

スケルツォは私としては初めて聴く作品。明るく機動性を持った曲ですが、単独で聴くとあっけない感じでした。次の協奏曲は大好きな作品。学生の時、小沢さんと野島稔さんのピアノ、田宮さんのトランペットで聴いてこの曲の大ファンになりました。今日の演奏も素晴らしい演奏で、ピアノのバシュキローヴァは自在にテンポを操り、言いたいことを全て言って爽快。トランペットも歌うところは歌い、最後のリズミカルな部分は明るくこちらも明快な音楽作り。ボレイコも要所を締めてききごたえ充分な演奏でした。

後半の第4交響曲は、とてもいい演奏だったのですが、音楽的に処理しようとし過ぎていたと思います。この交響曲は当時の当局をも不快にさせるほどの真情の吐露がある極めて大胆な作品だと思います。それはリハーサルを重ねたにもかかわらずショスタコーヴィッチ自身によって急遽初演が中止されたということからも推測できることではないでしょうか。第5交響曲以降に見られるオブラートに包んだような、あるいは偽りの「ものの言い方」ではなく、より直接的であるがゆえに美しい表現が似合わない音楽だとも言えなくは無いのでは。今日のはToo beautifulでした。言葉を変えて言うと精神性に欠けるきらいがあった、重量感や激しさに今ひとつ踏み込みが足りなかったのかなあ、ということでしょうか。しかし難しい曲ですね。

    hakaru matsuoka

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2006年11月10日 (金)

ベルリンドイツオペラ ヴェルディ「ラ・トラヴィアータ」

松岡究です。今日の昼間では意外と暖かかったのに、夕方になって急に雹が降り始めました。すると一気に気温が下がり多分4度前後でしょう、予報にそうでていたので。

演目 ヴェルディ 「椿姫」

  ヴィオレッタ:アンドレア・ロスト(今日予定されていたエヴァ・メイの代わり)

  アルフレード:ロベルト・アロニカ

  ジェルモン:ロベルト・フロンターリ   その他

  指揮:イヴス・アーベル

  演出:ゲッツ・フリードリッヒ

これでベルリンの3つの歌劇場がレパートリーにしている「トラヴィアータ」を全部見たことになります。ゲッツ・フリードリッヒ演出で、1999年11月20日にプレミエを出したものです。今日がちょうど60回目の公演だと言うことです。

フリードリッヒの演出は視覚的に大変美しく、特にライティングは鮮やかです。しかし国立歌劇場のムスバッハの深い読みやコーミッシェオパーのクプファーの哲学的な感覚は無く、どちらかと言うと極めてオーソドックス、常識的な演出です。却ってそれだからこそ聴衆は音楽に集中できると言う利点があるように思います。

代役のロストは張りのある美しい声で熱演。しかし私の考えからすると、声がスープレット系なので影や重みに欠けるきらいがあり、少々違和感あり。アルフレードのアロニカは素晴らしいテノールで、今まで聴いたアルフレードの中ではピカイチ。ジェルモンのフロンターリも素晴らしい歌手。しかしその声は私だったらヤーゴかリゴレットの使いたい声ですね。ですから父親の優しさよりも厳しさの方がたくさん聞えてきて、ちょっとやるせない気持ちになりました。

合唱はちょっと問題あり。迫力もないし平板で「真面目にやれ」と言いたくなるような内容。

指揮のアーベルは要所を押さえた余裕のある指揮。もう少しドラマがあるといいなあ。

やはりこういった演目は人気があって、開演前のチケットの窓口は長蛇の列。ドイツオペラにしてはかなり入ってました。

     hakaru matsuoka

      

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2006年11月 9日 (木)

ベルリン国立歌劇場 ロッシーニ「セビリアの理髪師」

松岡究です。そういえば今月の4・5日に鳥取オペラ協会でモーツァルトの「コジ・ファン・トゥッテ」を指揮いたしました。もしお聴きになった方がいらっしゃいましたら、是非感想やお気付きのことをお知らせください。宜しくお願いいたします。

さて今日はベルリン国立歌劇場の「セビリアの理髪師」。こちらの気温は思ったほどに低くないのですが、先週は凄く寒かったようで一安心。

演目 ロッシーニ「セビリアの理髪師」

 アルマビーバ伯爵:ヨセップ・カン

 ロジーナ:カタリーナ・カンマーローハー

 バルトロ:エンリーコ・マラベッリ

 フィガロ:アルフレード・ダーツァ

 バジリオ:クリストフ・フィッシェサー

 ベルタ:ブリギッテ・アイセンフェルト その他

 指揮:ミケーレ・ロヴェッタ

 演出:ルート・ベルクハウス

実に楽しい舞台。舞台にはカーテン式の小さな家にあつらえた出入り口4つの簡素な装置とシャンデリアが4つ。この演出は何と1968年11月21日がプレミエで、今日が299回目の公演だそうです。実に38年の長きにわたって、続いてきたこの演出は初演当時は画期的な舞台だったのではないかと思います。そのシンプルさは全く色褪せず、今見ても全く時代の古さを感じさせません。

カンマーローハーをはじめ出演者全員演技が達者で、舞台をうまく動き回り見ている観客を飽きさせません。カーテンコールではハンガリー式の手拍子が起こり、皆満足したようでした。指揮のロヴェッタは序曲ではあまり推進力が無く、凡演。しかしそれ以後は歌手とのやり取りや歌を支えていく力は大したもので、オペラ指揮者としての面目躍如。

      hakaru matsuoka

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2006年11月 8日 (水)

7日にベルリンに戻りました

松岡究です。今回のフライトでちょっと面白いことというか、考えてみたら当たり前なのかもしれないのですが、気付いたことがあります。

日本からフランクフルトへは毎回全日空で、フランクフルトからベルリンへはルフトハンザで往復しているのですが、そのフライトアテンダントの違いと言うか、日本人とヨーロッパ人の違いーといっても過言ではないーを痛感しました。

それはフライトアテンダントの方がワゴンで食事の世話をしているときの客に対する接し方の違いなんです。ワゴンサービスをしている時に誰かが、トイレに立ったとしますよね。全日空のフライトアテンダントの方はワゴンを一旦下げてその方を通すんですが、ルフトのドイツ人のほうはそんなことは一切お構い無しに、全く通路を譲ろうともしません。「こんな時にトイレに行ったお前の方が悪いんだから、少し待っていたら」とでも言わんばかりの態度です。

文化の違いなのか、サービスに対する考え方の違いなのか、それとも他の理由によるものでしょうか?

今回読んだ本は、岡田暁生さんの「西洋音楽史」、山田真哉さんの「さおだけ屋だけはなぜ潰れないのか?」の2冊と映画は「パイレーツ オブ カリビアン」「アントブリー」「ナチョ リブレ」の3本でした。映画は論ずるほどのこともない3本でしたが、2冊の本はそれぞれに目からうろこのところがたくさんあって、読んでいて大変ためになりました。

「私が問題にしたいのは、いわゆる前衛音楽における公衆のの不在である。・・・・歴史の公衆の審判を文句なしにくぐることができた作品数が第2次世界大戦後になると激減するのである。・・・・・つまり20世紀後半の芸術音楽は、かつてのような公式文化ではなくなっているということだ。私が現代音楽の歴史的な記述に疑問を抱くのは、芸術音楽のこの公式文化から一種のサブカルチャーへと言う変貌を、それが見落とさせてしまうからである。」   このようなことをはっきり言ってもらうと、わが意を得たり!と思ってしまいます。

      hakaru matsuoka

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