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2006年10月27日 (金)

養老孟司さんの本1

松岡究です。最近養老さんの本を何冊か読んでるんですが、とても目からうろこのことが多く、少しまとめる意味も含めて何回かに分けてご紹介したいと思います。

「こまった人」と言う中公新書の本があります。短いエッセイを集めた本ですが、これがなかなか教えてくれるところが多いんです。

「犬と猿」と題された章。「そのうち畑にサルがでる、イノシシが出るという話になった。・・・・野犬がいなくなったから役所は野犬狩りをしない、同様にして、野犬がいなくなったから、サルだのイノシシだのの天下になった。まさに納得。」「野犬の問題は、いわゆる環境問題である。イヌを管理せよと主張した側は、まさかその結果、サルとイノシシとシカが農作物を荒らすようになるとは考えなかったであろう。一方の秩序は他方の無秩序を引き起こす。」「意識と言う秩序活動が生み出した無秩序は、脳自体に蓄積する。脳に溜まった無秩序を、脳はエネルギーを遣って片付ける。・・・・寝ている時間は休んでいるつまりエネルギーを遣わない時間ではない、と言うことである。それは無秩序を減らして、元の状況に戻すと言うことである。」「都会人の問題は、意識活動こそがまともな活動だと思い込んでいることである。・・・・意識が存在することに、眠りは必然として伴っているのである。それが自然の法則である。秩序的な活動は、それだけで存在することは出来ないのである。そこが納得されてないと、意識的活動のみが正しいと言う錯覚が生じる。現代社会の根本的な問題がそれだと言うことは、わかる人にはわかっているはずである。・・・」

どうでしょうか。一部抜粋してみましたが、サルやイノシシの天敵問題から人間の持つ問題にまで深く切り込んでいるのは凄いです。現代社会が如何にバランスを崩し、人間はその愚かさを露呈しているのかがこのエッセイから良くわかります。

自然を管理することの功罪、翻って人間が人間を管理することの功罪。難しい問題ではあります。

昨日日ハムが優勝しましたよね。以前の巨人・西武・ヤクルトなど、所謂管理野球から新庄に代表される楽しみながら集中してやる野球に変わって来ているのは、養老流のめがねを通してみると進歩してるんでしょうね。そう思いたいです。

多分音楽界もそうなって来ていると思います。絶対的な力を持った1950・60年代の指揮者と、ラトルに代表される今の指揮者は、明らかに変わって来ていると思いませんか?

       hakaru matsuoka

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