終戦記念日
松岡究です。久しぶりの投稿になってしまいました。
昨日は終戦記念日でしたね。私は終日家にいて時折ニュースを見ながら過ごしていました。やはり小泉首相は靖国に参拝しました。また加藤紘一元幹事長の自宅が全焼しましたね。
首相の靖国参拝で中国や韓国からあるいは日本の中から非難・批判がでるのを予想できなかった人は一人もいないと思いますが、敢えて今日は試論を展開してみたいと思います。
靖国問題において東京裁判の是非、A級戦犯の合祀問題、宗教法人としての問題等の問題が全く解決されず今に至っていると言うのは、日本人の生まれ持った性質によるところが大きいような気がします。
かつて日本は天照大神以来の神道が日本由来の宗教としてきましたが、一方で土着の信仰(例えばお稲荷さんや地蔵信仰、あるいは狐・蛇等の生き物に対する)も併せ持っていました。そして仏教・キリスト教の伝来があり、また宗教では有りませんが儒教の思想も入ってきました。そして日本人はこれを一緒くたにしても何ら不都合を生じさせない柔軟性を持っていたといえると思います。その昔教科書裁判で有名になった家永三郎教授が「日本人はカミを神また上の畏れるものをカミあるいはオカミと呼ぶ(自分の女房をカミさんというのもその名残でしょうか?)」と言うようなことを言っておられたのを思い出します。つまり恐れ多いものはすべてカミだったわけです。仏教が入ってきて神ではなく仏という概念が入ってきたのですが、今も多くの人は神も仏もといいその区別も全くなく一緒くたにしています。つまり神も仏も同じで全く構わないわけです。
日本人が宗教に関わるのは大概の人が冠婚葬祭の時だけです。そんな宗教観の日本人にあってこの靖国問題ははっきり言って対岸の火事のように思っているのがほとんどではないでしょうか?しかしここへ来て外交問題としてこの問題が盛んに言われるようになりました。そして皆ほんの少しだけ考えるようになりました。「中国や韓国と仲が悪くなるのはまずいから首相は参拝しない方が良い」「日本の為に死んでいった方が祭られているんだから参拝するのが当たり前だ」 この程度でしょう、私を含めてほとんどの日本人の見解は。
結局、私達は現代史を学んでいないんですね。高校や中学でも大体日本史は明治、世界史は19世紀あたりで授業がやめになって、肝心な現代史は全く学んでいません。隣の中国や韓国はそうではないでしょう。現代史こそその授業で多くの時間を割いているに違いないと思います。彼らは国を挙げて特に2次大戦のことその是非はともかくその怨念を刷り込むがごとく教育している様が良くわかります。(今の日本の教育の現状はどうなんでしょうか?今も単なる受験のための社会の一科目何でしょうね?)このような状態では日本人と中国人あるいは韓国人の間では全く話にならないでしょうし、関心の度合いも天と地程の違いが有るように思えます。
ある識者は中国はその国内を治めんがため日本を敵国として教育し、小泉首相が参拝するたびに非難し、国内のガス抜きをしているとまで言う方もいます。つまり日本の首相や政治化が参拝することで国内に起こる数々の暴動の鎮圧を図っているわけで、裏を返せば何としても日本の首相に参拝してもらいたいのが中国の現状だということです。この意見には一理あると思っています。でもそれだけではないでしょう。
外国に暮らすと日本人は日本のことを余りにも知らなさ過ぎるのに、自分自身大変情けなくなります。こんなに自国のことを知らないで泰然としている民族は多分日本くらいなものでしょう。
ヨーロッパも中国も韓国も地続きです。つまり自分を知り相手も知らなければ生きていけない歴史があったわけです。いつ攻めてくるかわからない敵国がいつも回りにある境遇では、それが当たり前だったでしょう。日本は違いました。わずか元寇が2度あり所謂神風で事なきを得、江戸時代は鎖国をし、日本は極東の地にあって独自の固有な文化を育みました。
ですから、話をうやむやにしても困らない、あるいは「阿吽の呼吸」という言葉に代表されるような独特なコミュニケーション術を育みました。しかしいつも敵にさらされている地続きの国の民族は自己を明確に主張しなければならないコミュニケーションになったわけです。
その人間の性質が日本と地続きの国では180度違う中にあって、どう他国とComunicateしていくかは大きな教育問題であると思います。
hakaru matsuoka
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コメント
大使館の敷地内は、治外法権があり、その国の領土と同じだそうですが、靖国神社の境内は、敗戦前の軍国主義、大日本帝国の領土そのままに、時間が止まっています。“戦争博物館”の展示は、あの大戦が<聖戦>であり、正しい戦争だと当時のままの主張しています。
「兵士は死ねば軍神になる」---これは、開戦当初の新聞を繰ると、一面にデカデカと報道されていて、「××少尉、軍神となる」と連日、戦死者の記事が奉じられています。どの新聞も、そうした報道を当たり前のように、流布していたのです。戦火が拡大すると、もう個々人の名を軍神として奉じるには紙面が足りず、南方の戦線の様子は報じる手立てがなくなるので、大本営発表をそのまま垂れ流す他なかったのですが。
報道機関は戦後、それらの報道を、間違っていたと読者に詫び、反省の意を表しました。
しかし、博物館内は、その当時の紙面そのままなのです。ですから、あの神社に参拝するということは、「あの戦争が自衛のための聖戦で、侵略戦争などとんでもない」という意思表示になると思うのです。
でも、事実確認のために、一度は見聞することを広くオススメしたいと思います。戦後の民主主義で義務教育を受けた輩には、異様な光景にしか見えませんが。
投稿: 門馬 義夫 | 2006年8月16日 (水) 10時11分