アルベルト・ゼッダ指揮ベルリンドイツオペラ ロッシーニ「とてつもない誤解」演奏会形式
松岡究です。きょうは昨日より暑くなるのかと思っていましたら、生憎の雨。気温もそんなに上がらず4月上旬の気候に戻ってしまいました。昨日の件で言い忘れたんですが、一つ残念だったのが、ラトルが曲が終わってまだ指揮棒をおろさないのに拍手が起こったんですね。いつものベルリンの聴衆であればそんなことはないんですけど。つまり余韻まできちっと楽しんでるんです。多分その拍手は日本人だと思いました。昨日は特別コンサートで定期の枠組み外でのコンサートだったので、日本人がたくさんいたんですね。こんなこと言うと怒る人がいるのは重々承知で言ってるんですがね。ラトルの残念そうな表情が目に焼きついています。
曲目:ロッシーニ「とてつもない誤解」
配役
エルネスティーナ:マリーナ・プルデンスカヤ
ガンベロット:ブルーノ・タッディア
ブラリッキオ:マルコ・ヴィンコ
エルマンノ:アントニオ・シラグーサ
ロザリーナ:アンディオン・フェルナンデズ
フロンティーノ:ブルクハルト・ウルリッヒ
指揮:アルベルト・ゼッダ
今日は昨日に引き続き演奏会形式によるオペラの公演。ロッシーニの「とてつもない誤解」と言うオペラ。これは2005年の1月に東京オペラプロデュースで、演出が馬場紀夫さん、そして指揮が私で日本初演した作品でもあります。ロッシーニと言う作曲家は所謂天才で、ある意味ではメンデルスゾーンと同じですが、最初の作品から最後までとても高い完成度を持った作品を書いた人です。天才としてもてはやされていましたから、いろんなところから作曲依頼があり、自分の作品を使いまわしていたんですね。ですから「この曲はいったいどっちの作品のオリジナルなのか?」と言った疑問が研究されてきました。(例えば「セビリアの理髪師」序曲はオリジナルな序曲ではありません。)そして近年それが随分と解明されましたが、楽譜はまだ出版は全部されていません。今日の演奏の版も私たちがやった日本初演の時とは違って、ゼッダ自身が校訂した版のはずです。
さて今日はそのロッシーニ研究の第一人者であるゼッダの指揮でした。彼が登場するともう「ブラボー」の声が。そして指揮棒を構えてもまだ鳴り止まない拍手。もう一度ゼッダは客席を振り返り一礼、やっと序曲が始まりました(2幕も全く同じでした)。これだけの拍手をもらうのには、多分今までにロッシーニに関して大きな成功を収めて来たの違いないと思います。こんなのはベーム、カラヤン以来です。
こういった作品は本当に職人芸が必要で、例えばシンフォニー育ちのラトルがやるかと言えば絶対やらないでしょう。やはり曲によってその人の向き不向きは必ずあって、若いうちはいろんな物に挑戦するのだけれど、年を経るに従ってレパートリーが決まっていくのだと思います。
まずガンベロットを歌うはずだったブルーノ・プラティコが病気と言うことで急遽タッディアが楽譜持ちで歌いました。しかし彼はその楽譜をうまく小道具として利用しながら素晴らしい歌を聴かせてくれてブラボー!シラグーサはいつもながら明るい伸びやかな声を自由に操って圧巻。ブラリッキオのマルコ・ヴィンコも芸達者で客を笑いに持っていく術はたいした物です。そしてエルネスティアのプルデンスカヤは素晴らしいコントラルトで自由にコロラトゥーラを操ってこれも圧巻。歌い手は皆素晴らしい出来でした。一方ゼッダはやはりロッシーニをよく知っていて、音楽の運びに全く不自然さがありません。ただ舞台上にオーケストラが載っている関係上バランスがいささか気にはなりました。
hakaru matsuoka
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コメント
はじめまして、小桃と申します。
拍手ってむずかしいと思っていましたが、間というモノがあるのですね。
舞台の上の人たちだけが、その場の空気を作っているわけではなく、観客の聴く技量も必要なんですね。
まだ私はタイミングが分からないので、たまたまみんなの後に拍手するようにしていました。
迷惑にならないのは、まだましですね。
投稿: 小桃 | 2006年4月23日 (日) 19時34分
小桃さんは、私の大切なお友達です.。♥*♡*♥。.・*゚¨゚*・.。♥*♡*♥。.
そうそう。拍手のタイミングって
知らない曲の時は、小桃さんみたいに
回りを感じながら私もする事があるわ。
演奏後の間(余韻)を大切にする指揮者は多いですよね。
d(ゝc_,・。)♪
投稿: イリス | 2006年4月24日 (月) 02時25分