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2006年3月 4日 (土)

ベルリンコーミッシェオパー「エフネギー・オネーギン」

松岡究です。今日はコーミッシェオパーのチャイコフスキー「エフネギー・オネーギン」の再演初日です。このプロダクションには初めからかかわることが出来たんです。演出のホモキ(彼は新国立劇場で「フィガロ」を演出して、センセーションを巻き起こしましたね。僕はそう思ってますけど。)が、何を考え、どう演出するか?ということを毎日見ることが出来て、とても勉強になりました。勿論現代的な演出ですが、タティアーナやオネーギンの深層心理を合唱を使って巧みに表現したり、単なるメロドラマではなく、人間の心理的葛藤をうまく表現しているんですね。しかし、初演の時は物凄いブーイングで、その辺の描写が一度見ただけでは理解してもらえなかったんだと思います。僕は何度となく涙したんですけどね。

それで今日はまずぺトレンコがすばらしかったです。「ああ、レパートリーにするというのはこういうことなんだ」と実証してくれたような感じでした。この前より、より自在で、よりドラマティックでそしてシャープな指揮でした。2004年11月に初めてここに来て彼を最初に聞いたのが、オペラじゃなくてマーラーの4番だったんですけど、その時は硬くてちょっと聴くのが辛かったあの人が、こんなにすばらしい指揮者に成長を遂げているのを目の当たりにして、本当にすばらしいと思います。

次に歌手陣ですが、なんと言ってもレンスキーを歌ったマティアス・クリンクがピカイチ。彼の音楽性とチャイコフスキーの叙情性がぴたりと一致して、何ともいえないピアニッシモを聞かせてくれました。(彼のシュトゥットガルトでの「後宮からの誘拐」のDVDがありますがそれもすばらしい出来です。ザグログゼーク指揮)あとの歌手人はもう一つなんですね。ここにコーミッシェオパーの弱さがあります。しかしアンサンブルの良さ、言葉の届け方、合唱のアンサンブル力は大味な感じのあるドイチェオパーなどよりもすばらしいです。マティアスとその他の歌手の間の何が違うかというと、ざっくばらんに言うと音程なんです。皆それなりの音楽性とテクニックはあるんだけど、やはり音程の正確さにおいては彼だけです。だから表情が全て生きるんですね。表現したいことがその声に載って出てくるんです。その他の皆は、「声はすばらしいが・・・」、とか「音楽性はすばらしいが・・・」、ということになってしまいます。全部を兼ね備えるにはどうしたらいいんでしょうね?「それはいい音楽をやるしかない、いい音楽にはいい音程もいいリズムもいいハーモニーも全て含んでるから。」僕の先生の言葉です。全くその通りです。

    hakaru matsuoka

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