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2006年3月31日 (金)

E・インバル指揮ベルリン交響楽団定期

松岡究です。本日はインバルの指揮するベルリン交響楽団(BSO)の定期演奏会の報告です。プログラムは最初がブゾーニのピアノとオーケストラのためのコンチェルト・シュトゥック、後半がブルックナーの交響曲第7番。ピアノは新人でドイツ人と韓国人のハーフのカロリーネ・アラッシオ。

最初のブゾーニ。プログラムにブゾーニはドイツ人でもなくイタリア人でもない、保守主義者でもなくシェーンベルク信奉者でもない。彼は大都会の作曲家とあるんですが、何のことやら。勿論この曲は初めて耳にする曲ですが、構えが巨大でがっしりしているんだけど、精神的なものはあまり感じないんです。一見(一聴)ブラームス風のコンチェルトのようなんですけど、そんなに技巧を駆使しているような曲でもなさそう。なんか得体の知れない不思議な曲です。ピアノを弾くアラッシオは綺麗で結構骨太な音は持っているんだけど、何が言いたいのか自分がわかってない感じ。だから聴いていて全くつまらないんです。

後半のブルックナー。これはもうインバル節、はっきりと好き嫌いが分かれるでしょう。私は嫌いです。なぜか!彼のブルックナーは神秘とか祈りとかいった物は皆無のように聞こえてくるんですね。結構綺麗にまた歌うべきところは歌っているんですが、オーケストラから出てくる音に奥深い物がないように思うんです。2楽章の例のワグナーの死を予感させたメロディーも安易に演奏しているように聞こえてくるんです。魂の叫び、とてつもなく悲しみを通り越したところにあるような一点の曇りもない精神性。インバルのブルックナーには何もなかったなあ!と言うことでそそくさと引き上げてまいりました。

追伸

インバルは今季を最後にベルリン響を去って、後任にはローター・ザグログセグが就任します。その就任前のコンサートを1月に聞きましたが、彼も好きではないですね。(マーラーの大地の歌でしたが)

    hakaru matsuoka

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2006年3月30日 (木)

ベルリンシュターツオパー「コジ・ファン・トゥッテ」

松岡究です。約3週間ぶりにベルリンに戻り、昨日早速国立歌劇場のモーツァルト「コジ・ファン・トゥッテ」を見ました。このプロダクションを見るのは実に3回目です。今回は音楽監督のバレンボイムが指揮するとあって大変楽しみにしていたのですが、彼はキャンセル。代わってカペルマイスターのダン・エッティンガーが指揮しました。勿論彼はすばらしい指揮者なので不満はありませんでしたが、このプロダクションはバレンボイムがプレミエを指揮しているので、少々がっかりでした。

最初にこの「コジ」を見たときの指揮はシモーネ・ヤングでした。はっきり言ってひどかったですね。オーケストラから完全に無視されている感じの音で、音楽に生気がなくアンサンブルもアマチュアのオケかというくらいひどい物でした。(日本のアマオケの方がよほどいい音を出しますよ。)彼女がN響に来た時「あれ?」と思っていたので、ここで答えが判った気がしました。たまたまN響もシュターツオパーもそうだったのかもしれませんが。2回目と3回目がダン・エッティンガーの指揮です。これは昨日もそうでしたが、とても良い正統的な音楽作り。彼の指揮ならば安心して聴くことが出来ます。まだ若いですが腕前はたいしたものだと思います。

このプロダクションのすばらしいところはなんと言っても演出です。「コジ」は正味3時間かかるオペラですし、またフィガロやドン・ジョバンニのように大団円へ向けて音楽が発展して行き聴く者を興奮の坩堝へ巻き込んでいくと言ったオペラではありません。乱暴ですが、言ってしまえばアリアと重唱をつなぎ合わせたようなオペラと言えなくもないのです。それを飽きさせずに聞かせる、見させると言うのは大変難しいのです。(そういう私は鳥取オペラ協会で11月4・5日に「コジ」を振ります。中村敬一さんの演出です。是非いらしてください。)しかし演出のドリス・デリーは最初から最後まで観客を飽きさせずにこのオペラを見せてくれるのです。かいつまんで説明すると、まずグリエルモとフェランドは会社の出張・転勤で2人の恋人と別れることになるんですが、この場面が飛行場のチェックインカウンターとして描かれます。場面奥にはジャンボ機の写真が。それに手を振って別れを惜しむフィオルディリージとドラベラ。勿論それはうそですから、彼ら2人は今度はヒッピーの格好で再度現れます。そして彼女らを口説いていく。(ここでの衣装のコンセプトは1960年代ではないでしょうか。チェックインカウンターにいる職員やスチュワーデスもミニスカートの衣装です。)そしてついには彼女らは彼らの策略に堕ちてしまうのですが、グリエルモとフィオルディリージはベッドインしたと言うことまで描かれています。そこへ再びジャンボ機が現れ2人は大慌て。彼女らはその時にしかったとばかりにほっ被りをしてこそこそと逃げ出そうとするのですが、それが微笑ましくもあり、女性演出家ならではの着眼点が本当に面白いんですね。我々が日ごろ思うようなことの心理描写が手に取るようにわかる演出と言ってもいいかもしれません。ピットの前に通路を作ってそこで演じさせたのも聴衆との距離感を縮めるのにはいいアイデアだったと思います。

今回の歌手たちは2回目に見た歌手たちとほとんど入れ替わっていました。私個人としては2度目に見た歌手たちの方が好みでした。それは今回の歌手たちはビブラートが少々きついので、特に重唱の時にハーモニーがうまく創生されないことが一番の欠点だったように思います。一人一人の力量はかなりあり、それぞれのアリアは聴き応え充分なのですが、如何せん重唱は問題ありなのは大変残念なことでした。

       hakaru matsuoka

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2006年3月29日 (水)

昨日ベルリンに帰って来ました

松岡究です。昨日ベルリンに戻りました。今日からまたブログを出来るだけ毎日書いていこうと思っています。日本にいるときはやはり忙しいのと、ネタがなかなかない!と言うことで余り書けませんでしたが、今回カルメンをやったことでまた一つ何かがわかった気がしました。こちらで感じたこと・勉強したこと・わかったことをどう自分の今後に生かすか、どう仕事に結びつけるか、どう指揮者として仕事をするかと言うことも含めて考えて生きたいと思っています。

レスは今後私的な物意外は削除しないことにしました。ですから皆さんのご意見・お考え・ご感想などどしどし書いていただけたらと思います。宜しくお願いいたします。

         hakaru matsuoka

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2006年3月27日 (月)

カルメン終わりました

松岡究です。昨日無事に「カルメン」終わりました。大変多くの大客様に来ていただき感謝申し上げます。私がこのようなメジャーなオペラを指揮するのは、あまりないことです。手垢のつききった作品を指揮することは日本初演の作品を指揮するのとは全く違った難しさがあります。はっきり言ってかなり悩みました。プロデューサーからもかなりきついクレームがきましたし、何しろ稽古に参加したのが3月14日でしたので、キャストの皆さんと意思の疎通を図るのが大変でした。やはりオペラは時間を掛けなくてはいけませんね。

私がコーミッシェオパーの友人に今回の日本でのスケジュールを言ったら、それは不可能だと一蹴されてしまいました。しかしそのところを何とかしなくては、来ていただくお客様に悪いですし、また自分にとっても悪いことになってしまいます。プロデューサーの言葉も新はとても温かい心から発せられているのはちゃんとわかっていました。かみさんからもきつい言葉をもらいましたし、今回ほど考えさせられた公演はありませんでした。しかし特に2日目は自分でも楽しく出来たように思います(初日はそんなこんなで頭がいっぱいで、余裕がなかったですね。)。

今回のカルメンを聴きにいらしていただいた方にお願いがあります。どうか忌憚のない意見・批評をぜひお聞かせください。それが私にとって大変な糧になります。どうか宜しくお願いいたします。

明日28日ベルリンに戻ります。またベルリンからどんどんブログを書かせていら抱きますのでまたよろしくお願いいたします。

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2006年3月24日 (金)

ドイツの食べ物について3続

松岡究です。先日中華について少し書きましたが、今日はその続編です。ベルリンには「アジアンショップ」なる中国・韓国・日本その他アジア諸国の食べ物や食器あるいは炊飯器(つまりアジアでしか手に入らないアジア特有のもの)を売っている店がかなりあります。私の散歩する範囲にも3件のアジアンショップがあります。例えば納豆(冷凍)・豆腐・にら、あるいは魚介類の冷凍物、みそ・しょうゆ、カレー・あんこ、ビールではキリン・アサヒ・青山・ギンガ等々、高いのですがかなり手に入ります。しかし日本固有のもの意外はほとんど中国からの輸入物です。面白いことに、例えばスライスした干ししいたけの袋には「香ばしい」ではなく「香ぱしい」と印刷されてありますし、「日の出」という米には「hinode]ではなく、「shinode]と読みがふってあるのです。どうしてこんな読みになってしまうのか?例えば昔ゼンジー北京というお笑いの手品師がいらっしゃいましたが、かれの日本語のまね(彼は生粋の日本人だそうですが)なんかは、この振り仮名の読みに近いものがあったような気がしてるんですけど。

お知らせ

今月25・26日、中野ゼロホールにてビゼーの「カルメン」を指揮します。若し時間が有れば是非お越しください。開演は両日とも午後3時です。詳細は東京オペラプロデュースのリンクから入って、お確かめください。

         hakaru matsuoka

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2006年3月19日 (日)

ドイツの食べ物について3

松岡究です。今日はベルリンの中華についてちょっと書いてみます。以前にも私の行きつけの中華屋が2件あることは書きました。一軒は中国人がやっている店、もう一軒はベトナム人がやっている店です。中華はやはりインビス系(立ち食い)の店と、所謂給仕が料理を運ぶ店とあります(こちらは原則としてチップがいります)。そのインビス系ですが、中華とタイ料理、たまに寿司まで扱っているところがたくさんあるんです。すしをやっているからと言って日本人がやっているとは限りません。むしろ見よう見まねで、巻物中心で寿司をおいていたり、時々握りもおいていたりと多種多様です。味はそこそこで日本人として見方をやさしく見れば「まあいいか」てなところでしょうか。日本人がやっている店は大体において値段が高いので、こちらがいくら本場だと言っても現地の人にとっては安くうまいところが良いわけで、かなり競争は厳しいようです。店の名前も例えば「松州飯店」「タイ・ジャパン」など。ドイツ人あるいはヨーロッパ人には、日本人・韓国人・中国人・ベトナム人等々みんな同じ・一色単なわけです。我々日本人がヨーロッパ人を見るとどこの国の人かわかりませんよね。中には外人と言えば全部アメリカ人という人もまだかなりいらっしゃるでしょう。それと同じことがあるわけです。オペラでも面白いことがありますよ。以前留学していたハンガリー・ブダペストの国立歌劇場の「蝶々夫人」、蝶々さんが登場してきたときに合唱団がしたお辞儀はまるでアラーの神にするような、胡坐をかいて手を上に上げて腰をそのまま折るようなお辞儀でしたし、衣装もまるで中国人でしたし・・・・上げれば限がないんですが、そういう文化音痴的なことが時々起こります。

直行便でいくら12時間で着くといっても、やはりまだ遠いんですね、アジアとヨーロッパは。日本は今も、例えばルフトハンザの雑誌には「FAR EAST」と未だに書かれています。そういえばスウェーデンの音楽祭に行った時にあるスウェーデン人から、「どうして日本人が西洋音楽を理解できるのか俺には理解できない」と面と向かって言われたことがあります。まだまだですよね、本当に地球が一つになるのは。別に無理に一つにならなくてもいいんですが、いろんな意味で偏見や誤解がまだありますね。料理一つ取ってみてもこんなにごちゃごちゃしてるんですから、無理もないんでしょうか。つまり寿司も中華も同じ料理の範疇になってしまうんですね。ドイツ人にしてみれば。

       hakaru matsuoka

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2006年3月16日 (木)

どうしてユーロがこんなに高いの?

松岡究です。ベルリンで生活しておりますと本当にユーロは高いなあと思います。以前家内の松尾香世子がデトモルトに文化庁在外研修員で行っていた時は、1ユーロ120円前後だったと思います。それが今は、140円を越えているんです。と言うことは両替したり銀行から引き出したりすると1ユーロ145~150円くらいになってしまいます。例えば航空券を買うにあたっても、日本から往復する方がヨーロッパで買うよりも安いと言う、今までの常識とは全く逆転の現象が起こっているみたいです。

なぜこんなにユーロが高くなってしまったんでしょう?どなたかにちゃんと教えていただきたいんですが、これは多分にアメリカ、特にブッシュ大統領の政策が全くおかしいと言うことから来ているらしいんです。アメリカは日本の借金の何倍もの借金があるのはご存知の通りですが、ドルが国際通貨である以上、はっきり言えばドルをたくさんすって借金を返せば良いわけで、国際的にドルで流通が成り立っているうちは、この借金は屁でもないわけなんですって。で、アメリカは世界最強の国である必要があるわけで、そのためにイラン・イラクへのちょっかいが起こっているわけです。でも例えば、イラクは核も大量兵器も持っていなかったことははっきりしているわけで、ブッシュがやった戦争は全く的外れなわけだったんですよね。それを正当化しようとして、言い訳がましく専制政治を倒したことは良かったと言っている。それはそうだけれども、未だにイラクの政情は安定しない。そんな脳足りんなブッシュに愛想を付かして、投資家やいろんな企業がドルではなく皆ユーロを買い始めて、ユーロにシフトしなおしている。つまりユーロの需要がとても大きくなっていると言うことらしいんです。それでユーロはなかなか値下がりしない。

「名は体を現す」とはよく言ったものですね。(ブッシュ=藪)大統領はやはりヤブだったんですかね。

      hakaru matsuoka

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2006年3月15日 (水)

日本に帰って1

松岡究です。かなりブログを休んでしまいました。日本に帰ってすぐにそのまま、早稲田フィルに行き、翌日から昨日まで米子にいました。早稲田フィルは5月14日に新宿文化センターでチャイコフスキーの5番その他、米子は5月6日(米子公会堂)7日(倉吉未来中心)でモーツァルトのレクイエムとハイドンの「時計」をやるのでその数少ないリハーサルだったわけです。昨日午前の飛行機で羽田に飛んで、15時から21時まで3月25・26日の「カルメン」の稽古をやりました。

日本に帰ってくると、かなりタイトなスケジュールになります。まあ自分でそうしてるんですけど、そうしたほうが時差ボケを感じなくて済むんですね。変に時間が有ったりすると却って時差を強く感じてしまったりします。それでも寝れない時は寝れませんけど。

時差解消にはいろんな説・方法があるようです。例えば、日光をたくさん浴びて体に今はまだ昼なんだと思わせる法。牛乳を飲んで無理やり寝る法。日本の寝る時間まで無理やり起きている法。寝ても寝なくても起きるべき時間に必ず起きる法、等々。しかしはっきり言えるのは、日本に帰って来た時、つまり地球の自転と逆方向(西側から東へ向かって)飛んだ場合がこの時差を強く感じますし、なかなか治りにくいですね。日本からドイツに行った場合は、2日あればOK。寝れないということも全く有りません。飛行機も何時に出発するのが良いか、あるいは何時に着くのがいいのか、考えた方がいいでしょうね。私はいつもはドイツを夜出る飛行機(全日空便は20:45と決まっています。)に乗るようにしています。大体ドイツにも日本にも夕方着いて、少し頑張って徹夜したような状態で寝ると、必ず良く眠れます。その場合飛行機の中では12時間のフライト中の1時間の仮眠をとるくらいにします。その代わり必ず本を1冊読み、映画を2本ないし3本見るんです。そうするとあっという間に到着しています。飛行機の中で退屈することはありません。

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2006年3月10日 (金)

今日はベルリンを出発

松岡究です。今日はいまから空港に向かって日本に帰ります。それでブログは2・3日休みになります。

3月25・26日午後3時から中野ゼロホールにて東京オペラプロデュースの定期公演で、「カルメン」を指揮します。ぜひお越しください。チケットは東京オペラプロデュースのリンクから入っていただき、チケットを申し込んでください。宜しくお願いいたします。

ではにほんでお会いしましょう。

    hakaru matsuoka

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2006年3月 9日 (木)

ベルリンコーミシェオパー「オレスト」

松岡究です。6日にご紹介した米沢美佳さんのトリオ名は「アルテニウストリオ」、そして古楽器の合奏団は「ブロッケスアンサンブル」と言う名前だと言うことです。これからこのグループ名もどうぞ覚えてください。宜しくお願いいたします。

さて今日の本題ヘンデルのオペラ「オレスト」。指揮はトーマス・ヘンゲルブロック、演出はスバスティアン・バウムガルテン。先月26日にプレミエを出した新作です。プレミエには行けませんでしたが、米沢さんによると終わったとたんに物凄いブーイングが起こったということ。それは特に演出家に対してのブーイングだったようです。今日は逆にブラボーばかりの公演でした。

まず演出が映像ばかりに頼りすぎて、肝心の歌手たちの歌の心理や心が見えにくくなってしまったことがこの演出の悪いところだと思いますね。逆に映像の面白さもあったので、これも好みの問題に分かれるところでしょうか。次に音楽。指揮のヘンゲルブロックはこの前のマックレーシュと全く違う音楽作りでした。これは米沢さんの旦那さんのクライフさんから伺ったことですが、バロック音楽において、ピノックやガーディナーなどのイギリス系の音楽作りとコープマン、ブリュッヘンなどのオランダ系の音楽作りは大変対照的だということです。マックレーシュはイギリス系、今回のヘンゲルブロックはオランダ系ということでしょうか。ヘンゲルブロックは奏法として意図的に雑音を混ぜる行き方なんですね。ですから音楽がごついと言うか武骨な感じになります。逆にマックレーシュはエレガントで流れるような感じ。どちらかと言うと僕はイギリス系の方が好みなんですけど。しかし出てくる音楽の新鮮さはどちらも譲らず、飽きることなく聞かせてくれました。2人とも音楽に生命力を感じさせてすばらしいかったし、ヘンデルがまたすばらしい音楽。今回は休憩なしの2時間半でした。

ヘンゲルブロックは奇抜なアイデアが一つの売り物らしく、例えば今日のレシタティーフはアコーデオンとマンドリンで行っていましたし、その中にこれも意図的に不協和音や12音的な音を混ぜるなど、大変奇抜。しかしそれが変に演出の現代性とマッチしていて違和感がなかったり、ずいぶんと面白い体験でした。

ただ2人とも指揮の技術のおいては多少問題があり、アンサンブルに破綻をきたしていたところが散見されたのは残念でしたね。マックレーシュは「アルティーナ」は良かったんですがオーケストラの演奏会において、ヘンゲルブロックは今回のこの公演において。

         hakaru matsuoka

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2006年3月 8日 (水)

ドイツの食べ物について2

松岡究です。この前はパンのことについてお話したんですが、今日は「気楽に食べられる料理」と言うことで、お話してみたいと思います。

私は週に必ず行く店が3軒あります。一つは中国人がやっている中華料理屋。2つ目はベトナム人がやっているアジア料理屋(ビストロ)。3つ目はトルコ人がやっているビストロ。ビストロとは、所謂立ち食い、ファーストフード系の店のことを言います。この3軒は必ず行くんです。それで今日は3つ目のトルコ料理のことについて話してみたいと思います。

ドイツにはトルコ人がたくさん住んでいて、それが大きな社会問題にもなっている部分がありますが(実際ヴィザの更新なんかに外人局に行くと並んでいるのは80%はトルコ人です。)、ほとんどの人は一生懸命に働いています。その最たる働き口は言うまでもなくトルコ料理屋ですね。

ベルリンではSバーン(地上を走る電車、東京で言うと山手線や中央線みたいな奴)とUバーン(地下鉄)が平日は朝の4時から夜中の1時まで、週末は終日走っていますが、この駅のどこにも必ずと言っていいほどトルコ料理のビストロがあります。勿論駅だけではなくて大きな通り、繁華街にも必ずあります。私の行きつけの店はUバーンの駅の上にあるのですが、いつも行くとDoenner Teller(ディナー・テラー)というものを頼むんです。(ここの店は5.5ユーロです。)直径40センチ位(35センチ位かも)の大きな皿にそいだ山盛りの肉と豊富な野菜(多分10種類以上)そしてライスかポム・フリッツ(フライドポテト)のどちらか、その上にソース(チリ系、マスタード系、マヨネーズ系の中から選ぶんですが、全部と言えば全部かけてくれます)をかけて食べるんです。そのおいしさにはまってしまって僕は、最初にベルリンに来た時は毎日行きました。肉は大きな肉を串刺しにして、それを盾にしてぐるぐる回しながらゆっくりと焼いていくんですね、そして長い包丁で薄くそれを削いで、盛り付けるわけです。多分200~300グラムあるんじゃないかな。もう腹いっぱい!!それを食べた日はもう何も入らない感じです。手軽に食べるには「ケバブ」と言うのを皆頼みます。本当はそれが主流です。2~2.5ユーロくらいで買えるんです。客の80%がこれを買って行きます。袋状になったパンの表面をこんがりと焼いてその袋の中にこれでもかと言うくらい肉と野菜を詰め込んで、それを今度は押し固めてサンドイッチ風に食べます。普通の日本人の方ならこれでもう充分でしょう。とにかく手軽でおいしく、また野菜も豊富に取れますから栄養も偏ることなく食べることが出来ます。日本人にはドイツ料理なんかよりこういったものの方が口に合うと思いますよ。

安いし、うまいし、栄養満点。一度お試しあれ!但し、僕の日本でのドイツ語の先生にこの話をすると、「Oh !MY GOD」と言っていました。嫌いなんですこの先生は。

       hakaru matsuoka

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2006年3月 7日 (火)

ベルリンドイチェオパー「アイーダ」

松岡究です。今日はドイチェオパーの「アイーダ」です。この演出は今は亡きゲッツ・フリードリッヒの物で、1982年にプレミエを出して以来24年間続いている物です。出演者の動きは少ない物の、場面設定や舞台装置は良く考えられた物で、24年間続いてきた根拠が判る気がします。指揮は2月にコルンゴルトの「死の都」を指揮したフィリップ・アウガン。彼はヴェルディの最後から3番目のこのオペラを見事に振りました。完成度としてはコルンゴルトよりこちらの方が良かったと思います。7時半に始まって終演が10時45分、3時間あまりを全く飽きさせず、弛緩することなく持っていったのは彼の手腕の高さを物語っているのではないかと思います。彼はもう一度9日に「アイーダ」をやって、小沢さんの代役となった、上野の森の「オテッロ」に来日するのではないでしょうか。はっきり言って期待していいと僕は思います。

歌手は主なところを上げると、アイーダがミシェーレ・クリーダー、アムネリスがマリアンネ・コルネッティ、ラダメスがフランコ・ファニーラ。他にアルテュ-ル・コチニアン、ピエール・ダラース等。それぞれが声も持っているので本当にイタリアオペラの醍醐味を充分に味わわせてもらいました。特にアイーダを歌ったクリーダーはすばらしく、フォルテからピアノまで自由に歌い分け、ただ声を聞かせるのだけではなく、アイーダの純な心と内面性を表現してすばらしい出来でした。ファニーラは「清きアイーダ」が悪くはないものの、やはり硬かったですね。下のF音に戻るたびに不必要な装飾音が付いてしまって残念。しかし彼も上から下まで均一な音色を持っていて(つまり上の音で開いたり、張り上げたりと言うことがないですし、下の音も良く響きます。)、これはちゃんとした歌い手である証拠。歌い手に限らず、楽器は皆上から下まで均一な音色を持つことがプロとしては求められます。それが一流になる一つの必要条件に違いありません。今日の特にこの2人の歌い手はそう言いきれる2人だったと思います。

       hakaru matsuoka

追伸 コメントは一週間を限度に削除させていただくことにしました。宜しくお願いいたします。

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2006年3月 6日 (月)

ベルリンの友達 3

松岡究です。今日は昨日ちょっとご紹介したように、ベルリンコーミッシェオパー管弦楽団で第2コンサートマスター(ミストレス)を務めていらっしゃる米沢美佳さんをご紹介したいと思います。

私が去年の4月にここに来て研修員として初めて見たオペラが、ブリテンの「アルバート・へリング」でした。このオペラはオーケストラが舞台とピットに分かれてやる趣向になっているのです。舞台上のオーケストラは勿論衣装を着けています。そしてその舞台上のオーケストラの一人がやたらにうまいのをこの私が見逃すはずはないでしょう。私は「あのヴァイオリンうまいなあ、もう弾き方から違う!誰がやってるんだろう?でもなんか、東洋人のような顔してるなあ。」と、休憩時間に劇場張り出されているキャスト表を見ると、Mika Yonezawaと書いてあったんです。「あ、日本人だ!このオケの団員なのかな?」 私の最初の出会いはと言うか、一方的な出会いですがこうやって始まりました。そして3週間くらい経った時、例のチャイコフスキー「エフネギー・オネーギン」のオーケストラ練習が早くも始まりました。私は立ち稽古とオケの稽古を掛け持ちして見に行っていたのですが、そこで米沢さんを発見しました。「あ、やっぱりここの団員なんだ。」 何日か過ぎた頃、向こうから「こんにちは」と声を掛けてくださったんです。「何か困ったことがあったら、いつでも言ってきてください」との温かい言葉!「ああ、いい人だなあ」と感激しました。(でもすぐに「助けてください」なんてそんな甘えたことは言いませんでしたよ。)彼女はとてもざっくばらんと言うか明るくて物怖じしない性格の方なんです。

その後色々お話しするようになったんですが、実は先日彼女の自宅にお招きいただいたんですね。勿論彼女はもうちゃんと結婚してらっしゃいます、はい。そのお相手はここのオーケストラの主席ソロチェリストのクライフ・カルナリウスさんです。(この方のチェロも抜群にうまい!すばらしい音色の持ち主です。)暫くぶりの休日だったとのことで、自宅で手巻き寿司などをご馳走になりました。ベルリンでしかもこういった家庭で日本の味を味わえるなんて、贅沢ですよね。日本語の達者な2人のお嬢さんもいらして、これまたびっくり。上の8歳のお嬢さんはもう立派なバイリンガル、下の3歳のお嬢さんはむしろ日本語の方がうまいんです。

そんな米沢美佳さんは、昨日はコンサートミストレスとしてピットインしておられました。私は3階のピットが見える天井桟敷みたいなところでいつも聞いていますが、いつもピットから手を振ってくださいます。曲の後半、その彼女が慌ててピットを出て行くんです。「きっと弦が切れたんだ」と自分勝手に思っていたところ、びっくり仰天!スーツとパンツルックに着替えて、颯爽と舞台に出てきてソロを弾かれたんです。僕は初めて彼女のソロを聴いたんですが(いつもはアンサンブルや、オーケストラの中でしか聴いたことがなかった)、その音色は大変美しく瑞々しく、そしてピリッとした凛々しい音楽。思わず「かっこいい!」と心の中で叫んでいました。

このご夫妻はトリオもなさっていると言うことなんです。しかしお二人とも専属でいらっしゃるので、劇場がOFFの時が主な活動時期になってしまいますが、劇場があるときも、時間を作り出してトリオをなさっていると言うことです。また、凄いのは、米沢さんは古楽器も弾かれるんですね。そして古楽器のアンサンブルも最近結成なさったばかりです。(多分その古楽器に対する理解が昨日の名演を作り出していたんだろうと思います。)時々里帰りなさっては、いろんなところでトリオの演奏会をされているようです。

皆さんもこういうすばらしい方がいらっしゃると言うことを記憶していていただけたらと思います。

      hakaru matsuoka

追伸:プロフィールの公開にやっとあいなりましたので、見てやって下さい。

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2006年3月 5日 (日)

ベルリンコーミッシェオパー「アルツィーナ」

松岡究です。今日もコーミッシェオパーの公演から、ヘンデルの「アルツィーナ」。指揮は2月17日に定期で客演した、パウル・マックレーシュです。そう、皆さんにまたご紹介したい方がいるんですが、今日の公演のコンサートミストレスは米沢美佳さん。このオパーの第2コンサートマスターで、今日は舞台に載って、出演者としてもすばらしいヴァイオリンを披露してくれました。彼女のことは日を改めて、「友達3」として書きますね。

まず指揮のマックレーシュ、この前のコンサートとは打って変わって自分の専門分野であるバロック音楽のせいか、まるで水を得た魚のように生き生きとした指揮ぶり。そして音楽にも俄然活気があって3時間50分にも及ぶこの作品を飽きることなく聞かせてくれました。私が学生だった頃はヘンデルなんてバッハに比べたら2流で、深みのない作曲家だと教え込まれた記憶があります。とんでもないですよね!ヘンデルはこんなにすばらしい、まるで私たちと同じ時代を呼吸しているようなテンポ感あふれる音楽。マックレーシュは2004年11月に聴いた時よりもずっと音楽が生き生きとしてすばらしかったですね。でもあの時このマックレーシュがこのオパーの専属だったらいいのにと正直に思ったことでしたが、今日もう一度聴いて見ると、あの時に思ったことは間違いがなかったと改めて思いました。今日がこのオパーにとってこの演目は最後の公演だったのですが、米沢さんも曰く「オケのメンバーもこの曲は何度もやって知り尽くしてるからね」、ということばが表しているように、レパートリーとはかくも偉大なものかと感慨を深くしました。別の言葉で言うと、指揮もオケも歌手たち皆が音楽を楽しんでやってるということ。その典型を見たような気がします。「これが音楽だよ」ってな感じ。

歌手陣もすばらしい出来。特に女声陣はソプラノもアルトも大体4分音符120くらいの速さで、16文音符のアジリタを歌いまくって、これが悉くつぼにはまっているから爽快!オーケストラも現代楽器を使っているのもかかわらず、ノンヴィブラートをうまく用いてこれまたすばらしい響きとアンサンブル。この前のシュターツオパーのヤーコプスより良かったんじゃないかなあ。

      hakaru matsuoka

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2006年3月 4日 (土)

ベルリンコーミッシェオパー「エフネギー・オネーギン」

松岡究です。今日はコーミッシェオパーのチャイコフスキー「エフネギー・オネーギン」の再演初日です。このプロダクションには初めからかかわることが出来たんです。演出のホモキ(彼は新国立劇場で「フィガロ」を演出して、センセーションを巻き起こしましたね。僕はそう思ってますけど。)が、何を考え、どう演出するか?ということを毎日見ることが出来て、とても勉強になりました。勿論現代的な演出ですが、タティアーナやオネーギンの深層心理を合唱を使って巧みに表現したり、単なるメロドラマではなく、人間の心理的葛藤をうまく表現しているんですね。しかし、初演の時は物凄いブーイングで、その辺の描写が一度見ただけでは理解してもらえなかったんだと思います。僕は何度となく涙したんですけどね。

それで今日はまずぺトレンコがすばらしかったです。「ああ、レパートリーにするというのはこういうことなんだ」と実証してくれたような感じでした。この前より、より自在で、よりドラマティックでそしてシャープな指揮でした。2004年11月に初めてここに来て彼を最初に聞いたのが、オペラじゃなくてマーラーの4番だったんですけど、その時は硬くてちょっと聴くのが辛かったあの人が、こんなにすばらしい指揮者に成長を遂げているのを目の当たりにして、本当にすばらしいと思います。

次に歌手陣ですが、なんと言ってもレンスキーを歌ったマティアス・クリンクがピカイチ。彼の音楽性とチャイコフスキーの叙情性がぴたりと一致して、何ともいえないピアニッシモを聞かせてくれました。(彼のシュトゥットガルトでの「後宮からの誘拐」のDVDがありますがそれもすばらしい出来です。ザグログゼーク指揮)あとの歌手人はもう一つなんですね。ここにコーミッシェオパーの弱さがあります。しかしアンサンブルの良さ、言葉の届け方、合唱のアンサンブル力は大味な感じのあるドイチェオパーなどよりもすばらしいです。マティアスとその他の歌手の間の何が違うかというと、ざっくばらんに言うと音程なんです。皆それなりの音楽性とテクニックはあるんだけど、やはり音程の正確さにおいては彼だけです。だから表情が全て生きるんですね。表現したいことがその声に載って出てくるんです。その他の皆は、「声はすばらしいが・・・」、とか「音楽性はすばらしいが・・・」、ということになってしまいます。全部を兼ね備えるにはどうしたらいいんでしょうね?「それはいい音楽をやるしかない、いい音楽にはいい音程もいいリズムもいいハーモニーも全て含んでるから。」僕の先生の言葉です。全くその通りです。

    hakaru matsuoka

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2006年3月 3日 (金)

ティーレマン指揮ベルリンフィル定期

松岡究です。今日は何を隠そう私の誕生日です、はい。さすがにかみさんだけはおめでとうとメールくれました。でも他はナシのつぶて。まあ年食うのはもうこのくらいにしといてもらいたいので、まあいいっか!起きたら一人で「コンディトライ」に言ってケーキでも食べよ~っと。

ティーレマンとベルリンフィルの演奏会、今回楽しみにしていたものの一つです。曲目はメンデルスゾーンの序曲「フィンガルの洞窟」、ピアノ協奏曲第1番(ラルス・フォークトのピアノ)、そして後半がR・シュトラウスのアルプス交響曲。

まず「フィンガルの洞窟」ですが、僕の大好きな曲の一つです。ちょっとトランペットのバランスが悪かったように思いますけど、テンポを自由に変えてほぼ私の理想としている表現に近かったという点で、とても親近感が沸きました。日本では、彼のことをあまり良く言いませんけど、私はすばらしい指揮者だと思います。(何度も書いてますが、ドイチェオパーのR・シュトラウスは本当にすばらしかったんです。ですから今日も期待せずにはおられないという感じでした。)それから指揮のテクニックというかスタイルが誰かに似ているなあとずっと考えていたんですけど、思い当たりました。ホルスト・シュタインです。彼の指揮テクニックをかなり盗んでいると思いました。コンサートは今日初めて聴きますが、人間的にも飄々として飾らない人柄にまた愛着を覚えます。

2曲目のメンデルスゾーンの協奏曲、何が面白くて敢えてこの曲を選んだのかなあ?確かに悪くはないけど、魅力にはちょっと欠けるかな。メンデルスゾーンは私も先日第2交響曲を指揮する機会がありましたが、勿論今回の2曲にも言えることだと思うんですが、日常的な神への感謝が必ずといっていいくらい曲の中に盛り込まれていると思います。その祈りが日常的であるので、大げさに表現は出来ませんよね。例えばその祈りがレクイエムに象徴されるように「死」に関するものだったら、あるいはオペラに見られるように「愛」に関するものだったら、その表現は痛切なものとなったり妖艶な表現となったりできるでしょう。でもメンデルスゾーンのは違います。そのことがわからないとメンデルスゾーンの魅力は半分くらいわからないんじゃないかな、と思います。また彼ほど(宗教的な)オラトリオをたくさん書いた人もあまりいません。

休憩を挟んで後半のアルプス交響曲は、期待を裏切らないすばらしいできばえでした。一昨日、ケント・ナガノのことを書きましたが、1月に彼もアルプス交響曲をやってるんですね。ちょっと比較してみると、ケントは色で言うと彼のパレットには白系統と青系統それに透明という色の絵の具ばかり、でもティーレマンにはやはり赤も黄色もあるんです。どっちが良いとか悪いとかの問題ではなく、色の選び方が全く違うんですよね。またケントのは達観した雰囲気があったのに対して、ティーレマンのはしっかりとした油絵、豪壮かつ絢爛。この先は趣味の問題でしょう。

日本ではどうして彼のことがあまり評価されてないんでしょう?多分初来日のワグナーがかなり不評だったからでしょうか。ちゃっかりプログラムに今日のアルペンのウィーンフィルと入れたCDのパンフレットが挟まってました。でもこれは買いかもしれません。

       hakaru matsuoka

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2006年3月 2日 (木)

ドイツの食べ物について 1

松岡究です。今日はドイツでの食べ物について少し話してみたいと思います。

まずパン。こちらでは勿論「ブロート」ですが、皆さんご存知の通りドイツのパンって、日本のパンとは大違いですよね。その食感や味の違いに戸惑われたり、嫌いな方また逆に大好きになった方、さまざまだと思います。私の知り合いですが、大阪市民管弦楽団の元団長さんでトロンボーンを吹いてらっしゃる武友さんと言う方がいらっしゃいます。この方は食のプロで、ある大きな会社の勿論幹部でいらっしゃいますが、ちょくちょく海外(ドイツも含めて)へ行かれて、食材を輸入したりなさっていらっしゃいます。その武友さんに教えていただいてとても腑に落ちたことがあるんです。それは「日本のパンは生鮮食料品だけども、ドイツのパンは保存食です」 なるほど!!!それを知ってから僕は両方のパンを美味しく味わえるようになりました。それまでは「日本のパンはふにゃふにゃして味気ない。ドイツのパンはごわごわしすぎて食べるのに一苦労」などと不平不満が先に口を付いて出ていたんですね。それがそのことを教えていただいてから、両方のいいところが目に付くようになって、おいしく頂けるようになりました。とても有り難かったです。

こちらのパン屋は「ベッケライ(Baeckerei)」といいます。Backenされた(焼かれた)パンやケーキ等の焼いたものが売ってる店という意味です。パン屋だからパンだけしか売ってないということではなく、焼いたものを売ってる店ということです。だから焼いたケーキとかがショーケースに美味しそうに並べられていて、パンは後ろの棚に並べられています。大体どの店もそうしてます。

日本で言うケーキ、つまり生クリームだとかチョコでコーティングしたケーキを売ってる店は、別に「コンディトライ(Konditorei)」といいます。ちょっと違いますけど、いまは一緒になってる店も多いですね。こちらで食べると大きさは日本の倍くらいのが大体出てきます。こちらに旅行なさって色々食事されるのはいいんですが、大体全てが日本の5割り増しから2倍くらいの量が出てくると思って間違いないと思います。(一部違うところもあるんですが、それは後日書きます。)例えばご夫婦で旅行する場合、2人だからケーキも2つ飲み物も2つとか頼んじゃうと、もう昼食や夕食は半分も入らないと思います。それに大体甘いです。甘すぎると言ってもいいかも。私もそれで何度夜中に苦しくてもがき苦しんだことか。

また近いうちに食べ物のことについて書きますね。

      hakaru matsuoka    

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2006年3月 1日 (水)

ケント・ナガノ指揮ドイチェス・シンフォニーオーケストラ定期

松岡究です。もう2月が終わってしまいましたね。早いですね。「時間よ、止まれ」と言いたくなってしまいます。今日はDSOと簡略して言われるドイチェス・シンフォニー・オーケストラの演奏会です。指揮はここの音楽監督のケント・ナガノ。曲目はワーグナー:「ローエングリン」から第1幕の前奏曲、シェーンベルク:5つの小品、ワーグナー:トリスタンとイゾルデ」から前奏曲と愛の死(MS:ワルトラウト・マイヤー)休憩を挟んでブラームス:交響曲第4番というプログラム。

私はケント・ナガノという人も、この1年結構聴いてきたつもりです。そしていつもかれの音楽が掴みきれない、私にとってずっと納得いくものがというか、腑に落ちるものがなかったというか、そんな感じだったんです。でも今日なんとなくそれが判った気がしました。一言で言うと、「彼ほどいい意味で日本人的な音楽家はいない」ということです。確か日系3世だったと思うんですが、日本人でありながら日本には住んでいないというところから、必然的に日系人の方々はそのルーツを大切にする、大和魂を大切にするという生き方になりますよね。そう例えばユダヤ人たちが何千年も迫害を受け続けてきたのに、自分たちの民族的誇りを失うどころか却って強めてきたのと同じように、彼は日本人よりも日本的な内面を身につけているんではないか?どういうことかというと、彼にはずっと動と静の静、陽と陰の陰の部分をずっと感じ続けてきたように思うんです。そして彼の音楽は必ず「無」の部分があると思うんです。それが彼の最大の特徴ではないかと。例えば今日のローエングリンの出だし、本当に何もないところから生まれてくる音なんですね。他の指揮者や音楽家は最初から有であるんじゃないかと思うんです。無から始まるからある意味でとても透明感があって、ある意味でとても無性格。決してそこには秘められた激情や哀愁などの感情はないんです。徹底的に「無」なんじゃないかなあ!それが音楽の持っている美と結びついてこの演奏はすばらしかったです。

このやり方は思い返せばどの作品をやるときもそうだったような気がするんです。ブルックナーの6番、アルペンシンフォニー、そして必ず彼がプログラミングする現代音楽。皆そうでした。ですから特に現代音楽においてはいつも一種の緊張感が生まれますし、彼の得意とするところじゃないかと思います。シェーンベルクやウェーベルンなんか無から生まれるような、そんな音楽をいっぱい書いてる気がしませんか?その反面感情で音楽が支配されることはないので、物足りないところも出てきます。トリスタンはそのいい例でした。マイヤーは本当に未だに第1級の声を持っていました。しかしケントの音楽運びが感情ではないので、なんとなく違和感があるんです。魂を揺さぶられることはありません。ワーグナーのあのカタルシスは微塵もありません。次のブラームスもそうです。実に丹念に音楽は作られているんだけど、4番特有の哀愁、孤独、嬉しさ、激情といった感情が見えないんです。でもこのような個性を持った人は皆無でしょうね。だからこそ彼には価値がある、ということだと思います。音楽家は皆、動であり陽の人がほとんどだと思います。その最高峰がサイモン・ラトルではないでしょうか。

サイモン・ラトルはイギリス人、ケントは日本人、ベルリンの主なオパーとオケのチーフコンダクターは皆所謂外人です。ドイツ人は一人もいません。このことについていつか述べてみたいと思います。

追伸 実は今日のシェーンベルクの5つの小品は私が知っているものとは違ったんです。普通は大管弦楽で演奏されるんですが、今日は弦5部の5人、木管一人ずつ、ピアノ、ハーモニュームの計11人だったんです。ひょっとしたらプログラムが変更になっていたかもしれないし、このような作品が同じ題名で存在するのかとどうか、調べて後日報告いたします。

       hakaru matsuoka

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